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史上初となる4ループをついに試合で!
羽生結弦、新シーズンの抱負を語る。
posted2016/09/17 11:30
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by
Kyodo News
9月13日と14日の2日間、羽生結弦がトレーニングの拠点地であるトロントのクリケットクラブでメディアに向けての公開練習を行い、新シーズンに向けての抱負などを語った。
ボストン世界選手権の試合を終えた後、左足甲の靭帯を痛めて全治2カ月から3カ月と診断され、夏の間はアイスショーの出演もできずにひたすら回復に努めた羽生だった。
「とにかく1カ月半は、何もできなかった。リハビリすらもできませんでした」
報道陣に囲まれて、そう語りはじめた。車椅子こそ使わなかったものの、歩くことの衝撃も影響があったため、治療に行く、食料を調達するなど最低限の活動しかしていなかったという。
震災後も含めて、これほど長期間滑ることができなかったのは初めてのこと。最初の1、2週間は覚悟を決めていたものの、徐々に体の疼きなどを感じるようになった。一番厳しかったのは、ようやくリハビリがはじまってからだったという。
「(それまで)スケートがやりたいという気持ちを抑えていたので、リハビリがはじまったとたんに、(滑ることを)すぐにやりたいと思った。その意味では、リハビリ開始後が一番精神的につらかったです」
「無意味なものではなかった」
その間は、何をしていたのかと聞かれると、「自分の演技を映像で見たり、ほかの選手の演技を見てジャンプはこうやって跳ぶのかな、などと色々考えていたり、また大学の勉強に時間を費やしたりしました」と説明した。
療養を開始した当初、まだ試合に出ている選手もいて、もどかしい気持ちは当然あったという。特に4月に宇野昌磨がチームチャレンジカップで史上初になる4回転フリップを成功させた感想を聞かれると、「もちろん、悔しかったですよ」と苦笑する。
「でもこの2カ月半は、無意味なものではなかったと自分の中では思っています。スケートと勉強を両立させていく中で、どっちかがおろそかになってしまうこともあって、勉強、研究に集中できたのでスケートのためにもなったし、色々なことを考える期間になった。また自分のスケートとは、どういうものかと考える時間でもあったので、非常に有意義な時間を過ごしました」と前向きな言葉を重ねた。
「(昨シーズン)世界最高得点を取って、オリンピックのときほどではないけれど、周りがワーッと盛り上がって、自分が取り残されたようなところもあった。それが一回解き放たれた時期でもあったし、スケートが恋しくなった時期でもあった。そういう意味でも、結構意味はあったと思います」