オリンピックへの道BACK NUMBER
パイオニアがやり残したものとは。
フェンシング・太田雄貴の集大成。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAFLO
posted2016/07/11 07:00
リオ五輪が自身にとって最後の五輪だと語る太田。センターポールに日の丸を掲げることはできるか。
「全然違うやり方を突き詰めても面白いんじゃないか」
太田は、再開するからには、今までと異なるアプローチをしようと思った。トレーニングの方法も変えた。すると、心境に変化が起きた。以前の取材で、太田はこう振り返っている。
「全然違うやり方をしてみて、手ごたえがあったんですね。これならもう一回突き詰めても面白いんじゃないか」
そう感じたと言う。
面白いんじゃないかと感じさせたのは、トレーニング方法を変えただけにとどまらなかった。
日本代表コーチのマツェイチュク・オレグからの、戦術の変更の提案だった。
太田は、もともとはフェンシングの基本となる、自ら仕掛け、それに応じて相手が動くところを攻めるパターンで戦っていた。
オレグは、まったく異なる戦い方を持ちかけてきた。
フィニッシュから逆算しての緻密な戦略。
フィニッシュから逆算して計算した上で、どのようにフィニッシュへ持っていくかを緻密に考えて戦おうというのだ。
相手のリアクションに応じるのではなく、ある意味、すべてを自分のコントロール下に置こうという発想でもある。
その試みがはまったのが、2015年の世界選手権であり、金メダルという果実だった。
復帰後の成果は、結果として表れたにとどまらなかった。
新しい取り組みで、自分のフェンシングの技量が上がったと感じられた。そして「もっとフェンシングがうまくなりたい」と思うに至った。つまり、リオデジャネイロ五輪で目標とする金メダルの背景には、自身をより高みに引き上げたい、新しい地平を見たいという欲求も込められている。4度目のオリンピックへと、高いモチベーションを保つことのできる理由でもある。