大友愛の名言
最近は、どんなシチュエーションでも“私にできるかな”から“自分がやるんだ”と思うようになりましたね。
大友愛(バレーボール)
シドニー五輪の出場権を逃した日本女子バレーボール。ジャパン再建の大役を任されたのが、高さと機動力を備えた大型センターとして期待されていた若手の大友だった。2000年にVリーグのNECレッドロケッツに入団。2001年に代表に初選出、2003年に一時離脱するも、2004年のアテネ五輪に出場を果たした。責任あるポジションを与えれば、人は成長するのだ。
Number516号(2001/02/08)
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