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日本人ライダー全盛時代は今いずこ。
ロッシが語った「日本の強み」とは? 

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遠藤智

遠藤智Satoshi Endo

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posted2015/08/31 10:30

日本人ライダー全盛時代は今いずこ。ロッシが語った「日本の強み」とは?<Number Web> photograph by Satoshi Endo

昨年、今年と日本人が表彰台に立てないレースが続くなか、日本のエースとして中上貴晶の活躍に大きな注目が集まっている。

95レース続けて日本人選手が表彰台に上がったことも。

 日本人全盛時代の中でも圧巻だったのは、'93年の開幕戦オーストラリアGPから'98年の第10戦チェコGPまで95レース連続で続いた日本人選手の連続表彰台記録である。

 この記録がすぐに出てくるのは、'98年の第11戦イモラGPで忘れられない思い出があるからだ。

 そのレースで「日本人選手が優勝するレースを見たい」という何人かの日本のF1関係者がイモラを訪れた。僕はその関係者たちに「まあ、優勝するかどうかは確約できないけれど、表彰台なら何があってもひとりは立ちますから」と太鼓判を押したのだが、そのレースでだれも立てず、連続表彰台記録がストップしてしまった。

 当時は125cc、250cc、そして最高峰クラスの500ccの3クラスに20人近くがグランプリに参戦、すべてのクラスで日本人がチャンピオン争いをしていた。

 2000年に鈴鹿サーキットで行なわれた日本GPでは、表彰台に立った9人のうち8人が日本人選手という時代であり、「日本人選手が強すぎるから、日本ではバイクレースの人気が出ない」と言われたほどである。

平忠彦というスーパースターが作った「時代」。

 現状とは対照的に、日本の選手たちのレベルは高く、強かった。その理由はシンプルだ。

 頂点に「平忠彦」というスーパースターを戴き、1980年代の日本にバイクブームが巻き起こった。

 その時代にポケバイに乗り始めた3、4歳の子供たちから(青山博一や高橋裕紀世代)、16歳でバイクの免許を取ってレースを始めた若者たち(坂田和人や岡田忠之世代)が、予選を通過するだけでも大変という国内の激戦を勝ち抜いてグランプリに出てきた。

 バイクブームから誕生した選手たちは、グランプリでひとつの時代を築いたのだ。

 しかし、日本人全盛の時代に、国内のレースはスター選手不在の空洞化が進むことになる。それは1990年代にすでに始まっていたが、2000年代に入ると国内のレース人口は大きく減少した。その対策として日本のレース界は、強すぎるワークスチームを排除し「参加型のレース」に舵を取る。その結果、国内のレースは急速にアマチュア化していくことになり、レベルの低下も急速に進むことになった。

【次ページ】 ベテラン達が国内レースで上位にいる、という現実。

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