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佐藤由紀彦、長崎の地で引退を決意。
愛弟子・岡崎慎司との“魂”の絆。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE.PHOTOS
posted2014/11/14 10:30
V・ファーレン長崎では2010年から主将を務め、2011年にはコーチライセンスも取得している。2013年にクラブは念願のJ2に昇格し、佐藤由紀彦はその精神的支柱となっている。
岡崎は、与えられた助言をゆっくりと噛み砕く。
佐藤は清水復帰2年目の'06年途中、J2に降格していた柏への移籍を決める。結局、リーグ戦で岡崎と同じピッチに立ったことは一度もなかった。その岡崎は2年目から徐々に出場機会を増やしていき、清水の、そして日本のエースに成長していく。
最初、「上手とは言えない」印象しかなかった岡崎のことを、佐藤はいつしか認めるようになっていた。
「アイツはいいヤツだし、本当に可愛がられるキャラクターなんでみんなオカに対して助言するんですよ。アイツはそれをいいとこ取りじゃなくて、とりあえず全部やってみて、そのうえでこれは合う、これは合わないって取捨選択できる能力に長けているのかなって思うんですよ。ゆっくりと噛み砕いて自分のものにする、その信念がオカにはある。後輩ですけど、そういう強さは僕も勉強になりましたね」
「ユキさんは変わってないですね」
佐藤が清水を離れても、2人の“師弟関係”は続いた。岡崎からアドバイスを求められたこともある。
'09年、仙台から戦力外通告を受け、カテゴリーを下げてJFLの長崎に移籍した際、真っ先に電話をかけてきたのが岡崎だった。
あるとき、後輩は時間をつくって長崎までやってきた。
「ハウステンボスに行って、一緒にメシ食ったりして。あのときオカとは、なんかバカっ話しかしなかったかなあ。でも(サッカーに対する)情熱が俺に残ってんのかどうか、アイツ、確認しようとしたんですよ。そうしたらアイツ『ユキさんは変わってないですね』って。その言葉がまあ嬉しかったんですけどね」
苦笑いは照れ笑いに変わっていた。
JFL時代、長崎の練習グラウンドは整備されていないし、用具の管理も自分でしなければならない。ファン、サポーターの数も少ない。J2昇格条件の4位以内を狙える位置につけながら、スタジアムの問題や平均観客動員数、広告収入というJリーグ入会条件を満たせず、断念せざるを得ない年を続けた。それでも長崎の地でずっとやっていけたのは、変わりない情熱を燃やし続けたからだ。