マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
実は左投手は、左打者が苦手?
高校野球の“セオリー”は正しいか。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2014/08/09 08:00
高校野球のドラマは、時としてセオリーを超える。今年も、どんなミラクルが球児たちを待ち受けているのだろうか。
生身の人間がやる野球に、絶対のセオリーはない。
とても印象的だった場面がある。
0-3で負けていて、確か6回。1死一、三塁とさらに点差を離されるピンチで、監督が内野手たちに深く守るようにベンチから指示を出した。
ちょっと待て……。
すでに後半。ここで1点追加されて4点差にされたら、この後の反撃がきびしいだろうに。ここは、浅く守って三塁走者の本塁突入をなんとしても阻止しなければ……。
スタンドで見ていた私はそう思った。事実、“セオリー”なら、そうだったはずだ。
結果は、セカンド正面に強いゴロが飛び、4-6-3のダブルプレーで追加点を阻止した。
試合は8回、9回に計6点を奪い取って逆転で決着がついた。
「前で守らせて、選手たちに4点差は取り返せないんだと思わせたくなかった。たとえ1点取られても、キミたちは4点差だってひっくり返せるんだよ。あの深い守りの指示は、私からのそういうメッセージとして出しました」
激闘の逆転劇が終わって、監督はそんな表現で私の安易なセオリーまでひっくり返してくれた。
「ここはこうするものだ。先人の多くがそうしてきたことは正しいのだ」
それがセオリーというものだとして、ほんとのところはどうなんだ?
そこを考えるのが、野球のいちばん面白いところなのではないか。
野球の主役が生身の人間たちである以上、セオリーに絶対はないのである。