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清水で完全復活を遂げた小野伸二。
2010年の心残りは天皇杯で晴らす! 

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佐藤俊

佐藤俊Shun Sato

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photograph byToshiya Kondo

posted2010/12/28 10:30

清水で完全復活を遂げた小野伸二。2010年の心残りは天皇杯で晴らす!<Number Web> photograph by Toshiya Kondo

背番号は清水入団時の年齢30歳からとった「30」。ベテランとして、リーダーとしての自覚溢れるプレーが小野を輝かせる

 12月25日、天皇杯ベスト8で清水エスパルスはモンテディオ山形をPK戦の末に破り、ベスト4に進出した。チームは、得点できずに苦しんだが、再三チャンスを作っていたのが、小野伸二だった。途中交代まで、キレの良い動きとパスワークでリズムを作り、存在感を示した。この試合に限らず、小野は今シーズン好調を維持してきた。30歳で日本に帰国し、清水で自分を取り戻すことができた理由とは、いったい何だったのだろうか。

 小野は今シーズン、ドイツのボーフムから清水に入団した。入団当初は、本当に活躍できるのか、懐疑的な視線で見られていた。

 2006年フェイエノールトから浦和に復帰した時は、ブッフバルト監督が守備重視の戦術を志向したため、次第にベンチスタートが増え、思うような活躍ができなかった。2008年1月、ドイツのボーフムに移籍した時はケガに悩まされ、2007-2008シーズンは半年で12試合、2008-2009年シーズンはわずか8試合、2009-2010シーズンは半年で9試合の出場に終わった。2年間、あまりプレーできていない小野に厳しい視線が向けられるのは、仕方のないことだったのだ。

抜群のコンディションと怪我のない身体が好調の要因。

 ところが、2010シーズンがスタートすると18歳で浦和に入団した時のような輝きと存在感を見せたのである。

「スタートからここまで、1年間通してプレーできたのは、大きな怪我がなかったから。それが一番大きいね」

 小野は、1999年シドニー五輪一次予選のフィリピン戦で左膝靭帯断裂という大怪我を負い、2005年6月ドイツW杯予選中には右足第5中足骨の疲労骨折を起こすなど、常に怪我に悩まされ、その都度大事な舞台を棒に振ってきた。しかし今シーズンは、大きな怪我をすることもなく痛みからも解放され、30試合出場を果たしたのである。

「好調を維持できたのは、まず春のキャンプのトレーニングが大きかった。その時点で怪我も何の痛みもなかったんで、徹底的に体をいじめて、体作りをすることができた」

 小野は運動量ではあまり目立たない選手ではあるが、インターバル走ではチームトップ3に入るタフな心肺機能とスタミナを持つ。さらに、杉本龍男フィジカルコーチの教えでスプリントフォームも改造し、スピードアップに繋げた。

【次ページ】 インサイドハーフへの転換が小野の能力を引き出した。

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