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山本昌が憧れた先輩、甲子園初勝利。
前橋育英・荒井監督の31年越しの夢。 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph byKyodo News

posted2013/08/12 18:30

山本昌が憧れた先輩、甲子園初勝利。前橋育英・荒井監督の31年越しの夢。<Number Web> photograph by Kyodo News

岩国商に勝った後、抽選結果を主将である次男・荒井海斗選手より受け取る荒井監督

エースだった'82年夏、山本昌との思い出。

 荒井には現役時代、夏にまつわるこんな思い出もある。最上級生となり日大藤沢のエース番号を背負った'82年夏、1本もヒットを打たれないまま甲子園の夢を断たれたのだ。

 当時、1学年下に山本昌(中日)がいた。入学当初、荒井は「ものすごいとは思わなかった」と振り返る。

「今のフォームからも想像つくように、くしゃくしゃした感じの投げ方でね。球もそんなに速くなかった。ただ安定感はありました。今と同じですよ」

 ところが山本昌は2年生に進級するとめきめき頭角を現し始めた。

 きっかけはその春の敗戦だった。日大藤沢は準々決勝で、選抜大会で四強入りを果たした「Y校」こと横浜商業とぶつかり、荒井、山本昌ともに打ち込まれ、4-14で大敗する。「このままでは絶対に勝てない」と思った荒井は、翌朝から山本昌にも声をかけ、毎朝、8キロのロードワークをこなすようになった。

 山本昌は荒井にこう感謝する。

「先輩が黙々と走ってるんで、僕もついていくしかなかった。でも、あれからなんですよ、力がつき始めたのは。あのとき荒井さんが走ろうって誘ってくれていなかったら、今の僕はいませんよ」

 プロ30年目、現役最年長となる48歳の投手の原点は、こんなところにあったのだ。

大会史上初、2試合連続のノーヒットノーランも……。

 夏の初戦となった2回戦の先発は成長著しい山本昌だった。どちらが投げても勝てる相手だったが、大事な初戦を山本昌に任せるということは、この大会は山本昌を中心に回すという監督の無言のメッセージだった。

「あれは非常にショックでしたね。監督には『何で俺じゃないんだ』という思いはあったと思いますよ」

 初陣を山本昌が完封で飾ると、続く3回戦を任された荒井はノーヒットノーランを記録。4回戦は再び山本昌がシャットアウト。そして5回戦は荒井が2試合連続となるノーヒットノーランを達成した。大会史上初の記録で、今も破られていない。

 そして最大の山場、準々決勝の横浜商戦は順番通り山本昌が先発した。しかし2-3で惜敗。山本昌が回想する。

「あのときは立てなくなるぐらい泣きました。荒井さんに悪くて……。相手は走るきっかけになったY校でしたしね。投げたかったと思うんですよ」

 そうして荒井は「被安打0」のまま、最後の夏を終えたのだった。

 前橋育英が群馬大会を制したとき、荒井の携帯へ山本昌からすぐに連絡が入った。

「(山本昌は)ものすごい喜んでくれていましたね。選抜に初出場したときもすごい喜んでくれて、ボールをわからないぐらいたくさんくれたんです」

 この日、荒井が立てなかった夏の甲子園のマウンドを任されたのは前橋育英の2年生エース、高橋光成だ。188センチの長身を生かしたダイナミックなフォームで9連続三振をマークするなど13奪三振で完投。そして荒井の次男、海斗も「4番・サード」として甲子園に出場した。

「親子競演」については、荒井らしく「嬉しいけど、他の選手も家族だと思っているので」と控え目に語るにとどめた。が、「(春と夏では)まるで別の球場のようだった」と49歳でつかんだ夢の味を存分に味わっていた。

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