青春GOLF ――石川遼に密着! BACK NUMBER
石川遼が憧れた“キング”薗田峻輔。
ふたりの因縁対決を振り返る。
text by
雨宮圭吾Keigo Amemiya
photograph byKYODO
posted2010/09/14 10:30
プレーオフで死闘を演じた2人にもついに決着が。フジサンケイクラシック最終日、薗田峻輔と握手する石川遼。石川は今季2勝目(通算8勝目)で、ランキングトップにも立った
「薗田先輩は王子って感じしないですよね。しいて言えば王様かな。自分よりも薗田先輩の方が笑顔が素敵だと思います。皆さん見てください」
そこかしこでハニカミ王子と騒ぎ立てていた2007年6月、石川遼はプロツアーに初優勝してから初めての試合となる関東アマチュア選手権に出場していた。一緒に出ていた杉並学院高の先輩が首位に立つ(最終的には優勝)と、「薗田君は何王子ですか?」という質問が飛んだ。フィーバーの熱に浮かされた報道陣のムチャぶりに15歳の少年は冒頭の言葉で答えたのだった。
テレビや新聞で薗田峻輔が「王様」や「キング」と紹介されるのはこの一言がきっかけになった。名付け親は石川なのである。
石川が「王様」と初めて対面したのは小学4年生の時に出場したジュニアの大会だ。ナイキのスウォッシュマーク入りのキャップにウエア、さらに虎の顔のヘッドカバーを使う大柄な小学6年生。周りとは段違いの力強いショットを含め、その姿は幼い子供の目にあの選手とだぶって見えた。
「そう、全部タイガー・ウッズでしたね。圧倒されました」
薗田に憧れた石川が、2年遅れで杉並学院高へ入学した。
中学時代に2年間オーストラリアに留学した薗田は、当時のゴルフ部監督の熱心な誘いを受けて杉並学院高に入学した。薗田へのあこがれを抱いたまま2年遅れで入ってきたのが石川で、2人は単なるゴルフ友達ではなく先輩、後輩の間柄になった。
ミラクルなツアー優勝からあれよあれよとステップアップしてプロの道に進んだ後輩に対し、高校を卒業する先輩にとってプロ転向はまだ現実的ではなく「いろいろ勉強するつもりで」と明治大学に進学した。
学業、部活動、そしてツアーにも推薦を受けて出場する。薗田はそんなプランを思い描いていたものの、現実はそううまくはいかなかった。学業と部活動の両立に忙殺され、ツアーからのオファーはすべて断らざるを得なかった。キャンパスライフに充実感は感じられても、肝心なゴルファーとしての欲求は満たされないまま時間は過ぎていった。
「かたや石川遼はすくすくと成績を伸ばして賞金王にもなってしまい……」
テレビでも街中の広告でも、どこにいようとも石川の姿が目につく。ついこないだまでは同じ舞台で、しかも自分がまさっていたはずの後輩である。気持ちは揺さぶられて当然だ。大学生活が約1年過ぎた頃、迷いに迷った薗田は大学側とも相談した上で、ツアーの予選会を受けて石川と同じステージに上がることを決めた。