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10年越しに叶えた2つの夢。フリーダイバー・篠宮龍三、闘いの軌跡。~日本で世界選手権、初開催~
text by
野田幾子Ikuko Noda
photograph byKanako Nagashima
posted2010/07/30 10:30
日本チームの戦略は「メダルを狙う。色は問わない」
フリーダイビングのチーム戦は、どう確実にポイントを取得してライバルチームに勝てるかを考える頭脳戦であり、心理戦である。いくら高い記録をマークしても、競技を終えて失神してしまえば、ポイントはゼロ。したがって無理をせず、確実に競技を成功させられる深度・時間・距離を狙わなければならない。
一般的には、各チームに所属する3名の選手の公式ベスト記録を参考にライバル国を設定し、選手が監督と共に戦略を立てていく。ライバル国の選手の得意な種目、苦手な種目は? 今大会での調子はどうか? 大会前の情報収集から闘いは始まっている。
日本チームは、コンスタントで水深116mの記録を持つウィル・トゥルブリッジ擁するニュージーランド、そして前述のギヨーム・ネリのいるフランスをライバル国に設定していた。戦略は「メダルを狙う。色は問わない」で決めていた。身体の調子を見ながら無理のない範囲で確実にポイントを取る。上位国が焦りで自滅するのを待つ。銅を確実に取れなければ、金を狙うことなんて到底無理。それがチームコンセプトだった。
この戦略を採用したのには、篠宮の忘れられない記憶があった。エジプトで行われた前回の世界選手権のフィナーレのシーンだった。水平に潜水する距離を競う最終競技のダイナミックで、1位を争うチェコとフランスの最終競技者が同じ時間にスタート。双方のベスト記録にさほど差はない。しかしフランスの選手よりもより長く泳ごうと意識したチェコの選手は自分のペースを乱し、自己ベストとはほど遠い距離で上がったあげく、失神してしまったのだ。
篠宮が今も引きずる2004年大会での失神。
他国の出方を気にしすぎたり、最初から金メダルを狙って自己記録を出す勢いで挑むと、必ずプレッシャーになって自滅する。2000年から世界大会に出場している篠宮は、そんな例をいくつも見てきた。実際、彼も2004年の大会でいきみすぎ、コンスタントで失神した。「自分が決めていれば、銀メダルが取れていた──」。篠宮は、当時のチームメイト、市川和明と富永直之に対して、今でも悔恨の思いを捨てきれない。
「市川さんは年長者だったから『終わったことはいいじゃないか』と言ってくれたけど、富永さんは根っからのアスリートだから、『メダルは取れるときに取らなくちゃダメなんだ』という考え方だった。それがかなり堪えました。俺が失敗したから、チームメイトに苦しい嫌な思いをさせてしまった」
自分が体験した苦い思いを、今大会のチームメイトである濱崎克哉と大島俊にはしてほしくなかった。34歳の濱崎は今大会で2回目、27歳の大島は3回目の出場。特に濱崎は今年4月からハワイで集中的に練習し、飛躍的に記録を伸ばしてきたものの、その疲れが沖縄でピークに来ていた。その様子を見て、篠宮は心配を募らせていた。