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明徳義塾、馬淵采配で10年ぶり4強!
倉敷商・西のシンカーを封じた秘策。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/08/21 17:10
選手に指示を送る明徳義塾・馬淵監督。1992年には、星稜4番の松井秀喜を5打席連続敬遠し、話題を呼んだ「馬淵采配」だが、今回もストレート狙いを徹底させるなど、その独自の采配が際立った。
相手が「刀」を抜く前に勝負を決めた。
8月21日、準々決勝。序盤、明徳義塾(高知)は劣勢だった。2試合連続二ケタ奪三振をマークしている倉敷商業(岡山)のエース西隆聖から、3回までに5つの三振を奪われる。決め球は、いずれも伝家の宝刀、シンカーだった。
明徳義塾監督の馬淵史郎が振り返る。
「西君のシンカーは、エレベーターやから。上から落ちてくる。引っかけさせるというよりも、フォークに近い。ストレートのタイミングでバットを振ったら、スイングしてからボールがくる感じ。そうなったら、もう泣き笑いよ」
この7月に明徳と倉敷商は練習試合を行い、明徳打線は10-8と西を打ち込んでいた。ただ、そのときは倉敷商が追い込みの時期にあったため西も疲労が蓄積しており、試合前、馬淵は「参考にならない」と話していた。とはいえ、一度でもシンカーの軌道を見ていたことで対策は立てやすかった。
防具をつけた打者を相手に取り組んだ、倉敷商のエース・西の特訓。
馬淵が考えた西の攻略法は、こうだった。
「追い込まれて、あのシンカーを投げられたら打てない。だから、カウントを取りにくる甘い真っ直ぐをねらっていこうと伝えた」
ところが、小さな誤算があった。練習試合をした当時、西はまだ右打者にはシンカーは投げられなかった。三塁側に逃げるように変化するため、死球が怖かったのだ。西も、「右(打者)には、感覚的にどう投げればいいかわからなかった」と話していた。
しかし明徳との練習試合で敗れた後、投球練習時に防具をつけた打者を右打席に立たせ、右打者にも投げられるようシンカーの精度を高めていた。
そのため、この日は、左打者よりも打ちやすいだろうと思われていた右打者までもが、西のシンカーにくるくるとバットが回っていたのだ。