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<私が山に登る理由> 東大卒の登山ガイド・山田淳 「『なぜ人は山に登らないのか』僕の関心はそこにありました」
text by
萱原正嗣Masatugu Kayahara
photograph byTakuya Sugiyama
posted2012/07/12 06:00
今回、雑誌Number Do『大人の山登り。~ゼロから楽しむ入門編~』よりお届けするのは、東大卒の登山ガイド・山田淳さんの、山に魅せられた理由です。
灘高、東大、マッキンゼー――。頭脳とビジネスの世界で「最高峰」を歩んだ山田淳。彼は東大在学中の2002年5月17日、エベレストの頂に立ち、世界七大陸最高峰の登頂を、当時の世界最年少(23歳9日)で成し遂げた登山家だ。
そしていま、「登山人口の増加」と「安全登山の推進」をミッションに掲げ、アウトドアベンチャー企業、株式会社フィールド&マウンテンの経営に取り組んでいる。
山の頂を目指した男が、経営の世界に身を転じ、人を山に登らせようとしているのはなぜなのか。
経営に没頭していた山田の転機は、9人の命が失われた遭難事故。
'09年7月16日の夜、一つのニュースが山田の耳に飛び込んでくる。北海道大雪山系トムラウシ山での遭難事故――。最終的に、9人の命が失われる大惨事となった。
「オレ、何やってるんだろう……」
心の奥底に眠っていた山への思いが、はっきりと目を覚ました。山田は当時マッキンゼーのコンサルタントだった。
「学生時代は、世界最高峰のエベレストにとにかく登りたかったんです。七大陸最高峰は、そのためのステップとして挑みました。目標だったエベレストから下山して、登山ガイドの仕事を始めたんです。山の魅力を大勢の人に知ってほしかったからなんですけど、僕個人がどれだけ頑張っても、大きな流れは何も変わらない。変えるためにはビジネスの仕組みをつくらなければと、あるとき気付きました」
だが、ビジネスのことは何も分からない。それなら学ぶしかないし、どうせ学ぶならエベレストと同じく「最高峰」を目指したい。「3年」という期限を自ら設定し、'06年4月に、マッキンゼーでの修行を始める。コンサルティングの仕事は刺激的で、山のことをほとんど忘れてしまうほど面白かった。いつしか、自分と約束した「3年」という期限は過ぎ去っていた。
ミッションは、「安全を確保しながら、山に親しむ人」を増やすこと。
だからこそ、トムラウシの事故は心を大きく揺さぶった。
翌日には退社の意志を伝え、年内で会社を辞した。
「防げた事故でした。冬山に挑んだ登山家が命を落としたわけではありません。夏山のレジャー登山で、登山客15人に対して3人のガイドがいた。条件は悪くない。この事故を、運のいい悪いで片付けてはいけない。事故の直接の原因は、登山客の装備の甘さにあります。でも、最大の問題は、ガイドや旅行会社が登山客を止められなかったことです。山は自己責任だと言われます。山に登る人がその思いを持つことは大切ですが、僕ら山業界が個人に責任を委ねてしまうのは間違い。僕らには経験の浅い人にも対応できるように、ルールやインフラを整備する責任があります。安全を確保しながら、山に親しんでくれる人を増やす。それが、自分が挑むべきミッションだと強く自覚しました」