フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
モロゾフが再び高橋大輔の元に――。
衝撃のチーム再結成の真相とは?
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph byTakuya Sugiyama
posted2012/06/18 12:00
2007年の世界選手権では、モロゾフ・コーチ(右)のもと、日本人男子史上最高位となる銀メダルを獲得した高橋大輔。モロゾフと再びタッグを組み、ソチで初の五輪金メダルを目指す。
「チーム高橋に、新しいコーチが加わりますのでご紹介します」
高橋大輔の隣に立っていた日本スケート連盟の小林芳子副強化部長がそう言うと、集まった報道関係者の間をすり抜けて部屋に入ってきたのは、ニコライ・モロゾフだった。
「うそー!」どこからか、抑えた囁きが聞こえてきた。
すべての関係者にとって、まさに「うそー!」の状況だった。
6月15日、新横浜で開催された「ドリーム・オン・アイス」初日公演の後に行われたこの共同記者会見。ここに同席するためにだけ急遽来日したというモロゾフは、彼らしくもなく緊張した硬い表情をしていた。
「皆さんには、正直にお話ししましょう。ダイスケは、私のお気に入りの生徒でした。あのような形で別れてしまったことを、ずっと残念に思っていました。私の魂は、彼とはまだやるべきことが残っている、とわかっていたのです」
ニコライ・モロゾフとの離別の事情。
わずか30歳の若さで荒川静香をトリノ五輪金メダルに導いたニコライ・モロゾフは、安藤美姫を2度世界チャンピオンにするなどの実績を持つ。やり手のコーチ、振付師として日本でもすっかり名を知られる存在となった。
その彼が、3年間指導してきた高橋大輔との師弟関係を解消することになったのは、2008年春のこと。当時の高橋にとって国内最大のライバルだった織田信成がモロゾフに師事すると発表した後だった。
フィギュアスケートの世界では、コーチの方からスケーターを勧誘することは通常タブー視されている。だが何につけても型破りなモロゾフは、欲しいスケーターに自分からオファーを出すことで知られ、以前から関係者内で批判の声はあった。織田のところにも、移籍を決める1年も前から繰り返し誘いがあったのだという。
「当時の自分は、あの状況を受け入れる器量がなかった」(高橋)
モロゾフの愛弟子であった高橋にとっては、寝耳に水だった。
「当時の自分は、あの状況を受け入れるだけの器量がなかった、ということです」と高橋は彼らしい謙虚さで、思いを口にした。
「でも問題は、モロゾフが事前に知らせなかったということですよね」と言うと、高橋は少しこまったような表情で苦笑した。
「でも周りが思っていたほど、ショックではなかったんです。彼は“これ”と思ったら、衝動的に動いてしまう人だというのはわかっていたので」
当時のモロゾフは、最後まで自分の非を認めなかった。師弟関係の解消は、高橋のエージェントに不満があったことが原因だと主張。「高橋は自分よりもエージェントを選び、織田を受け入れたときにはすでに関係は切れていた」と、時系列的に無理のある説明を世界中のメディアの前で繰り返していた。