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<再出発の決意を語る> 松井秀喜 「“20年前の気持ち”で挑むメジャーへの道」
text by

鷲田康Yasushi Washida
photograph byKazuaki Nishiyama(T&t)
posted2012/06/01 06:00

広報と通訳が、自主トレの打撃投手を務めていた。
この自主トレ用に、60球のボールが入ったカゴを用意した。トスバッティングでそのカゴをまず、3個分打つ。それから練習相手の広岡勲広報とロヘリオ・カーロン通訳が打撃投手を務めて1個ないし1個半ずつを打つ。もちろん専門の打撃投手ではないのでストライクが入ったり入らなかったり。それでもじっくりとボールを見極めて1日約300スイング、一心不乱にバットを振り続けた。
打撃練習が終わったら、最後のクールダウン代わりに今度は松井がマウンドに立って、2人を相手にボールを投げ、肩も鍛えた。
それが自主トレ期間の最低ノルマだった。
「振り込みという点では、それなりに出来たと思います。もちろん実戦はやっていなかったので、こっちにきたらそういう感覚を徐々に上げていくことがまず最初の課題。でも、それもこうして練習してみたら、あまり問題はなかったように思います」
5月2日から始まったレイズでの練習。フリー打撃から実戦形式のライブBP(打撃練習)、シート打撃と内容を上げていき、練習試合に初出場したのが9日だった。
ツインズ傘下のマイナーチームを相手にしたこの試合では5度打席に立ち、2安打を放って1打点をマーク。12日のオリオールズ傘下のマイナーチームとの試合では、最終打席で豪快な右越え本塁打も放って、調整が順調に進んでいることを見せた。
なぜ松井は「20年前」を思いだすのか?
「何だか20年前を思い出していますよ」
練習後のホテルで、松井がフッとこんなことを語りだした。
「20年前」とは、巨人に入団した1993年のことだった。
「あの年は開幕に二軍に落ちて5月に一度、上(一軍)に上がったんだけど、7月にまた落とされた。下では一軍に上がるために、結果を残そうと必死になってやっていましたからね」
そんな状況が、今の自分の境遇に似ているというのだ。
プロ2年目以降、巨人ではもちろん二軍のグラウンドに立ったことはない。メジャーでも、'06年に左手首を骨折した際に手術、リハビリを経て、復帰のための実戦調整でヤンキースのマイナーの試合に出場したことがあるだけだ。そのときもあくまで自分の実戦感覚を取り戻すための調整で、結果は二の次だった。
「でも、今度は違いますからね」
松井は言う。
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