野球善哉BACK NUMBER
被災地でありながら被災地でない!?
青森代表・光星学院は無心に戦う。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byHideki Sugiyama
posted2011/08/19 19:30
大阪生まれの沖縄育ち。青森には高校から野球留学でやってきた川上竜平選手。強肩強打を誇る外野手兼投手で、準決勝の作新学院戦では8回にソロホームランを決め、勝利を確実にした
被災地としてあまり認識されていない青森代表!?
震災の被害がありながら、東北の他県に比べてあまり被災地とは認識されていない微妙な立場の青森。この春もセンバツに出ていた光星学院は、被災地・青森の代表として十分注目されてしかるべきだったが、被災地の岩手・宮城・福島の物語があまりにも多く流れた時点で、メディアは彼らを被災地のドラマから外してしまっていた。
小坂貫志部長は言う。
「私たちは震災が起こる前に青森を出発していたので、センバツが終って八戸に着いた時には本当にびっくりしました。電気やガスなどは復旧していましたけど、いかだ船までが乗りあげられていて……想像以上のものでした。選手たちも心底驚いていたと思います。2回戦の専大玉名戦の日は震災からちょうど5カ月で、3回戦の徳島商戦は終戦記念日の黙とうがあった。どちらも感慨深いものがありました」
主軸の一人・金山洸昂も、被災地を目の当たりにした時の衝撃を語る。
「(青森に帰ったら)自分たちが走るランニングコースがぐちゃぐちゃになっていた。衝撃でした。こんなことになっているのに、僕たちは野球をやっていたんだと……。野球をやらせてもらっていることに感謝しないといけないって思いました」
ほとんどの選手が他県からの野球留学という特殊な事情も。
ただ、彼らはそうした悲惨な体験をことさら雄弁に語らない。
川上主将は8月11日に、東北勢として唯一の試合となったことに「何かの運命を感じている」といい、終戦記念日の黙とうの際には「色々なことを考えた」といったが、それ以上はあえて語らなかった。
「東北に初の優勝旗を!」というモチベーションが彼らを支えているわけでもない。仲井監督が大阪出身なのをはじめ、ほとんどの選手が他県からの野球留学の選手だからなのかもしれない。彼らのそういう微妙な立場が、逆にこの大会ではプラスに働いている可能性もある。
被災地の代表として、過度なプレッシャーと戦わなければならなかった花巻東や聖光学院と比べれば、彼らの立場はいくぶんかでも楽なのかもしれない。