ジーコ・ジャパン ドイツへの道BACK NUMBER

2006年 VSドイツ  

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木ノ原句望

木ノ原句望Kumi Kinohara

PROFILE

photograph byKazuhito Yamada/KAZ Photography

posted2006/06/02 00:00

 「結果より内容」と試合前日に話していた日本代表ジーコ監督の、試合後に見せた穏やかな表情がチームの準備状況を物語っていた。

 ワールドカップ初戦のオーストラリア戦を2週間後に控えて、5月30日、日本は開催国ドイツとレバークーセンで親善試合を行い、2−2で引き分けた。

 引き分けとはいえ、速いパスをつなぐ日本の俊敏性を生かした攻撃からFW高原の2得点を生み出し、後半途中まで2−0のリードを奪った。2004年12月に横浜で対戦し、0−3で負けた以降、日本の取組みの成果を示すものだった。

 立ち上がり早々、ドイツの攻撃にさらされるが、日本はチーム全体が高い集中力を保ち、冷静に試合状況を判断し、対応していた。

 日本はドイツ大会の拠点となるボンに入ってから、押し込まれた状況を想定しての練習を重点的に繰り返していたが、それに加えて前々日の夜には、選手同士で自主的に話し合いを行い、守備の約束事を決めていた。それらの努力がこの日のピッチでよく実践されていた。

 攻撃では、日本の組立てのよさが何回かでた。前半は0−0で終了したものの、同13分にはMF福西からパスを受けたFW柳沢が、スペースに入り込むMF中田英寿へ好パスを渡して、中田英がシュート。その3分後には、MF中村のスルーボールを受けた柳沢がゴール正面からGKの脇を抜くシュートを狙った。いずれもアーセナルGKのレーマンに阻まれたが、全体の流れがスムーズにつながった、いい攻撃だった。

 その連係のよさは後半に入っても続き、後半12分には待望の先制点を生み出した。

 中盤で中村がボールを持つと、チーム全体が、スイッチが入ったように流れるように滑り出す。前へ走り出す柳沢への動きを察知した中田英は、中村からのパスコースにいながらこれをスルー。ボールを受けた柳沢は、中田の裏から相手ディフェンスの裏のスペースをつく高原へパスを出した。ボールを受けた時点でGKと1対1の状況になった高原は、ドリブルで駆け上がり、GKの動きを冷静に見極めて抑制の効いたボールをゴールネットへ叩き込んだ。全員の判断がうまく噛み合った場面だった。

 さらにその8分後には、中村からボールを受けた駒野が右サイドを攻め上がって中央の高原へボールを送る。高原は反転しながら相手のマーク3枚をかわしてペナルティエリアへ入ると、再びGKの動きを見定めて左ポスト内側へシュートを流し込んだ。

 ドイツはケガから復帰のMFバラックを含め、ほぼベストの布陣で日本戦に臨んだが、日本の速いパス攻撃と、自らのパスコースを消される守備にいらいらが募ったのか、日本選手をファウルで止める場面が少なくなかった。それが、MF加地の負傷退場を招いた。

 前半35分にシュウェインタイガーのタックルを足首に受けたガンバ大阪の右ウイング選手は、担架でピッチをあとにした。現オランダ代表監督のファンバステンが選手生活を断念せざるを得なくなったのと同種の後方からのタックルは、危険行為として禁止され、カードの対象になっているが、この日の試合を担当したギリシャ人レフェリーのバッサーラスは的確な対応をしなかった。

 急遽交代出場した駒野は、この状況によく対応して高原の2点目をお膳立てする活躍で「信頼できる選手」とジーコ監督から合格点を得た。だが、激しく、長い大会を考えると加地の復帰は、この日チーム離脱・帰国が発表されたDF田中に次いで、新たな心配材料となってしまった。(田中の代わりにDF茂庭が招集された。)

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