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プロレスに、理屈なし。 

text by

丸井乙生

丸井乙生Itsuki Marui

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photograph byTadahiko Shimazaki

posted2005/10/12 00:00

プロレスに、理屈なし。<Number Web> photograph by Tadahiko Shimazaki

 プロレス界はこれまで、治外法権の世界だった。宿敵に「ブッ殺してやる」と言われ、「脅されたんです」と警察に駆け込むレスラーは皆無だ。試合を前に対戦相手と舌戦を繰り広げたら、観衆の前で恥部を暴露されてしまい、「名誉を毀損されました」と弁護士に相談に行く者もいない。試合後に選手が敵方の若手を連れ去る場合も多々あるが、「後輩がさらわれたんです」と110番するアホウは聞いたことがなかった。

 脅迫、名誉毀損、未成年略取も罪として成立しないのは、リング上での事はすべてリング上での戦いで解決するというプロレスの流儀があるからだ。言ってみれば、全ては果たし合いで決着をつける武士のような世界。ちと褒めすぎだ。とにかく、そんなプロレス界でこのたび、「チャンピオンベルト返還請求訴訟」という史上まれに見る訴訟が起こされた。

 原告側は全日本プロレス、被告はプロレス界のへそ曲がり男「ケンドー・カシン」こと石澤常光(ときみつ)。昨年6月12日の世界タッグ選手権で、カシンと永田裕志(新日本プロレス)が勝利を収めて王者の座に就いた。試合後、カシンは「このベルトは封印する」と宣言。冗談かと思ったら、その後防衛戦を一切行わず、本当に封印した。有言実行の男である。それから1年2カ月。全日本プロレスはいつまでも返還しないカシンに業を煮やし、今年8月2日付で東京地裁に民事訴訟を起こした。

 なぜ、ベルトを返さなかったのだろう。「封印したから」。ハイおしまい。いや、実はそれ以外にも全日本側の対応に問題があった。封印して以来、半年間防衛戦を行わなかったため、カシンは規定により王者資格をはく奪されたのだが、全日本が王座返還を求める際に言った台詞が良くなかった。「ベルトの写真撮影に使うから“貸してくれ”」。ああ言えばこう言うカシンに対して及び腰だった事が丸分かりである上に、「貸してくれ」とはいかにも所有権を認めたかのような発言である。カシンは全日本側からの電話に一切出ないようになり、ついに被告となった。

 かくして、前代未聞の裁判は10月5日、東京地裁513法廷で初公判がしめやかに営まれた。法廷は傍聴席が約20席の小部屋で、当事者同士は傍聴席にも入らず、双方の弁護士が出席した。裁判長が訴状の確認をする。「被告・石澤常光(つねみつ)は…」。「ときみつ」です。のっけからガッカリ裁判となった。

 全日本側の理論武装は、「預けた物は返せ」という真っ当な主張であるにもかかわらず、悲しいほどにスキだらけだった。訴状で「選手契約を結んでいた被告と──」と前提したが、実際は、選手契約は口約束のため、契約書など存在しない。さらに「ベルトは全日本の由緒正しい所有物。団体側に所有権があり、王者には預託しただけ」とするが、裁判長は(1)全日本の所有物であるならば、そもそもどういう経緯で手に入れたのかを説明しろ(2)王者になるという事とベルトを占有する事に違いはあるのか、など、訴えた側が今まで真剣に考えたことのない質問を始めた。

 さらには、世界タッグ王座はPWF、インターナショナルの2本から成るのだが、裁判長からは(3)なんで2本あるの?(3)ところでPWFって何ですか、などと究極の質問。PWFが何であるかを説明するには、次回公判でPWF会長のスタン・ハンセンが「ウィーッ」と証人に上がらなくてはいけないかもしれない。

 とどめは、全日本プロレス側の弁護士が、カシン被告のこれまでの無礼な言動を示す証拠として提出したのが、日本に夢と希望を与えるスポーツ紙の鑑「○スポ」だった。裁判長は「これはベスト・エミネンス(証拠)にはならない。次は、ちゃんとした資料を出して下さい」と却下。証拠として出す方も出す方だが、この初公判で明らかになったことは、「東京地裁は○スポを証拠書類として認定しない」という事だけだった。

 裁判を終えたカシンは「司法の手にゆだねる問題じゃない。大丈夫かなあ」と敵方を心配。東京地裁の門前に同志と共に集結し、永田裕志のグッズタオルを掲げて記念写真を撮った。裁判所自体を冒涜しているかのような行動だが、タオルに染め抜かれた文字が「ブルー・ジャスティス」。裁判所前の「正義宣言」には文句の付けようがない。

 今後は10月中旬に試合出場のため、欧州に渡り、12月まで帰国しないという。世界タッグベルトを持参して、うっかり欧州に忘れてくる危険性もある。「あげますって言われたら、すぐに返したんだけどなあ」。天の邪鬼には天の邪鬼なりの対応を。全日本プロレスは、司法より面倒くさい男を敵に回してしまった。

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