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アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ「ボクシングがあるから極められるんだ」 

text by

近藤隆夫

近藤隆夫Takao Kondo

PROFILE

posted2006/01/26 00:00

 リオ・デ・ジャネイロ郊外の高級住宅街にあるアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ邸内には、2年半前に造られた20畳強の広さの練習場がある。そこに設置されたリングの中では、ボクシンググローブを拳にはめたノゲイラが激しいスパーリングを繰り広げていた。12月下旬のことだ。

 「動くんだ、止まるな!― 動きながら打て!」

 「立っている位置を考えろ。コーナーに追いつめられるな!― 相手を追い込むんだ!」

 ロープの外からコーチのルイス・カルロス・ドリアが檄を飛ばし続ける。

 ノゲイラのスパーリングパートナーを務めているのはエジソン・ドラゴ。アマチュアボクシングの南米ヘビー級チャンピオンで、一昨年から総合格闘技のリングにも上がり、7戦7勝(7KO)の戦績を誇る。今年、PRIDEへの参戦が濃厚視される気鋭の白人ハードパンチャーだ。ドラゴの豪快なパンチに対しノゲイラも一歩も引かず、果敢に打ち合う。オーソドックスな構えから左にステップを踏む、と同時に右のストレートをクロスで放つ。

 「いいぞミノタウロ、そのタイミングだ」

 ドリアが唾を飛ばしながら叫ぶ。

 ミノタウロとはギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪獣。ここではノゲイラの愛称だ。

 ボクシング・スパーリングかと思いきや、どうやらそれだけでもない。ドラゴがタックルを仕掛ける。巧みなステップバックで、それを潰したノゲイラは、得意のオモプラッタも利して時間をかけずにポジションをチェンジ、アームバーを極めた。再びスタンドに戻りスパーリング再開。その後、相手を柔術家のファビアーノ・カポーニ、プロボクサーでサンパウロ州のチャンピオンであるファビオ・マウドナードへと替え、ボクシング主体のスパーリングは続いた。

 ノゲイラがリング上で動いたのは30分ほどだったか。吹き出した汗でTシャツが躰に張り付いている。見渡す限り海……絶景のベランダに出てドリンクを喉に流し込んだ後にノゲイラは口を開いた。

 「今日はスパーリングの日なんだ。細かい技術の練習をする日もある。ここでは打撃の練習をやり、ブラジリアン・トップチームではグラウンドのトレーニングをやる。割合は半々くらいだ。いまは仕上げの段階だからスパーリングが中心だね」

 実は、この時、ノゲイラは大晦日に日本で闘うつもりでいた。結局は試合が組まれなかったが彼は、臨戦態勢にあった。

 「ここでは充実した打撃のトレーニングができる。そのことには満足しているよ。何しろ、スパーリングパートナーには事欠かないからね。ボクシングのチャンピオンクラスのファイターが多く集まってくれるし、弟のホジェリオとも一緒に練習しているよ」

 ドラゴをはじめ何人かの選手は、このノゲイラ邸で寝泊りしている。コーチのドリアもバイーア州から駆けつける。「チーム・ミノタウロ」のバックアップ態勢は万全のようだ。

 「柔術マジシャン」の異名も持つ初代PRIDEヘビー級王者。その柔術テクニック、つまりは極めの強さは、世界のトップファイターが集うPRIDEのリングにおいても他の追随を許さない。これまでも打撃系のパワーファイターを相手にノゲイラは柔術技を駆使して勝ち星を重ねてきた。'02年8月、国立競技場『Dynamite!』でのボブ・サップ戦、或るいは翌年11月、『PRIDE― GP決勝大会』でのミルコ・クロコップ戦。強力な打撃を喰らい苦戦を強いられながらも、耐え抜き、最後はグラウンドへ相手を引きずり込んでサブミッションを極める。柔術の強さを総合格闘技のリングで体現し続けてきた。そんなノゲイラが、必死に打撃の技術を磨こうとしている。大会を重ねるごとにレベルアップするPRIDEのリングで闘い、勝ち続けるためには苦手な部分の克服は不可欠なのだろう……。

 「いや、そうではない」とノゲイラは言う。

 「私は決してボクシングを苦手にしているわけではない。むしろ得意だと思っている」と。

 ボクシングが得意?

 「実は私は、柔術を習い始める前にボクシングの練習を積んでいたんだ。13、14歳の頃、テレビを観ていて一人のボクサーに憧れたのが、きっかけだった。それが現在のコーチ、ドリアさ。当時、ブラジル国内のライト級チャンピオンだった彼がトレーニングしているジムが私が暮らしていたバイーア州内にあると知って行ってみたんだ。2年ほどだったけど、ドリアと一緒にトレーニングをしたよ。ボクシングでも結構、私は強かったんだ」

 その後にノゲイラは柔術と出会う。以降、柔術にのめり込み、その頂点を極めたことは周知の通りだ。その間、ドリアとの交信も途絶えていた。

 「『リングス』で闘っていた時は、それほどボクシングの必要性を感じなかった。でも『PRIDE』のリングへ上がってからはボクシングの練習をやっていたんだ。いまのような本格的なものでは無かったけどね。

 相手が私を研究してきて、なかなか柔術技が極まらなくなってきた。それに、もはやタックルでテイクダウンを奪うことも難しい。そのことを強く思ったのはミルコと闘った後だったね。何か新しいものを身に付けて周囲を驚かせてやりたかったのさ」

(以下、Number645号へ)

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