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清原和博 ~完全復刻版インタビュー~
「僕の原点甲子園 忘れ得ぬ三度の挫折」 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

photograph byDaisuke Yamaguchi

posted2009/08/14 11:30

清原和博 ~完全復刻版インタビュー~ 「僕の原点甲子園 忘れ得ぬ三度の挫折」<Number Web> photograph by Daisuke Yamaguchi

清原はピッチャー失格なのに、体の小さい桑田が残った。

 PL学園に集まって来る選手はほとんどが、エースで4番だった連中ばかりである。清原の3年時のレギュラーのうち、7人までが中学時代は投手をしていた。そんな連中が、一人、また一人と投手から野手に転向させられていく。“お引き取り”(清原)という儀式だそうだが、翌日からピッチングをしなくていいと言い渡されるのは、ある意味で脱落したようなショックがあったようだ。

 だが清原にとって、投手失格のショックにも増して大きな衝撃だったのは、桑田がそのサバイバルゲームに勝ち残ったことだった。

 ボクより体は小さいし、スピードだってボクより下。なのに桑田は投手失格の烙印を押されなかった。野球はただ体が大きくて、速いボールを投げればいいってもんじゃないって、なんとなく考えるようになりました。

 しかもですよ。学校の授業中でも、こっちが居眠りしてて、時々目を覚ますと、いつも桑田が手を挙げて質問してる。こりゃ、頭ではあいつにかなわないな、と思いましたよ。

 1年生の中では確実にチャンスをものにしてた清原にとって、桑田が6月にレギュラー組に昇格して来た時のショックは大きかった。素質や体で優る田口がコントロールの悪さからはずされる中、桑田は確実にチャンスをつかんで来たからだ。桑田を見ていて、清原ははじめて思ったという、「野球ってヤツは、頭でやるものだな」と。

初めての甲子園。清原は変化球が打てなかった。

 何しろ、神経性下痢に悩まされたボクが、いい結果を出せるわけなかった。だから、1回戦、2回戦のことなんか全く憶えていないよ。それで3回戦の東海大一との試合で、止めたバットにボールが当たって、それがライト前ヒットになり、急に気が楽になった。それからですよ、ヒットが出るようになったのは。一方桑田はその時はもうホームランを打っていたし、エースでしょ。初めての甲子園なのに、あいつどんな神経してんのかな、と思いましたよ。

 準々決勝の高知商戦では二塁打を2本打てたし、やっといい感じになってきたけど、でもあれ、津野さん(日ハム)の速い球ばかりだったんです。本当のことをいうと、ボクはあの時変化球が打てなかった。それがバレるのがいやで、だから、早いカウントからばかり打ってた。初球変化球から入ってくる高校生って、少ないですからね。

 だけど、水野さん(池田ー巨人。準決勝で対戦)だけは別だったな。いきなりスライダーで入って来ましたからね。桑田はその水野さんから本塁打を打っているのですよ。池田の水野っていえばボクら高校生にとっては、超スーパースターじゃないですか。それなのに、平然と打ってしまう。また、思ったですよ、なんていう神経をしているのだろうって。

 ボクはといえば、スライダーを連投されて、簡単に三振。春の府大会のことが急に思い出されてね。2三振したら、すぐにベンチに引っ込められたんです。だから三振だけはしたくないと思って、当てにいってしまったわけです。これが悪かったんです。水野さんから結局3三振でした。全部スライダーみたいな変化球で。

 そのぶんは決勝(対横浜商戦)で、三浦さん(中日)からフォークをホームランして返しましたけど、横の変化球だったらついていけなかったんちがうかな。三浦さんは力ーブ投手っていわれていたんで、それが来る前に打ちにいこうって思ってたんです。

甲子園で優勝した清原に再び大きな挫折が訪れる。

 PL学園は3対0で横浜商を破って、優勝を飾る。だが、甲子園で初ホーマーを打って、ちょっぴり自信を取り戻した清原の鼻をへし折るような知らせが入って来た。アメリカ遠征の高校選抜メンバーの中に、清原の名前がなかったのだ。PLから4人が選ばれたが、もちろんその中に桑田の名前もあった。脳天を割られるような思いがしたという。

 桑田たちがアメリカ遠征に出かけている時、PLの室内練習場には、深夜まで力ーブマシンを打ち込む清原の姿があった。“あの時ほど死にもの狂いで練習をやった時はなかった”と本人が言うほどの猛練習。マシンを打ちながら、清原は考え抜いた。

 やがて、力ーブに対して、気持ちの方があせってしまい、前につっ込んでいく自分がわかりかけて来た。そして力ーブを待って右方向に打てるようになった時、“こまった時は打ち込むしかない”という確信を、清原はつかむに至ったという。

 秋、新チームがスタートした。だが、万全の態勢で秋を迎えたはずの清原はここでさらに難問にぶつかる。左投手の力ーブにどうしてもタイミングがあわなかったのだ。秋季大会の京都西戦、堀井から2三振を食っている。

【次ページ】 「甲子園っていうのは、何か得体のしれない怪物みたい」

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