Number ExBACK NUMBER
鈴木啓太 田中マルクス闘莉王 成長への啓示。
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
posted2007/12/28 00:26
鈴木啓太と田中マルクス闘莉王にとって、イビチャ・オシムは教師だった。
元浦和レッズのエースストライカー福田正博は、入団当時の鈴木のある言葉をいまでもよく覚えている。
「浦和がJ2に降格した'00年の高卒新人のなかに啓太がいた。啓太の第一印象?― よくプロになれたなって。当時は技術的に、あまり高いレベルじゃなかったし、体もそれほど大きくなかった。正直、トップには上がってこられないんじゃないかって思ったよ。でも、そのときに啓太がびっくりするようなことを言ったんだよ。『フクさん。僕、将来、日本代表になりますから』って。鼻っ柱の強い奴だなって感じたな」
ADVERTISEMENT
確かに鈴木は、以前から日本代表への夢を口にしていた。'04年のアテネオリンピックを目指すU-22日本代表のアジア最終予選メンバーに選出されたときは、「アテネはあくまでもステップのひとつ」と言い切り、そのアテネオリンピック本大会のメンバーから漏れた際には「アテネを経由しなくても、その上の舞台には行ける」と虚勢を張った。それでは日本代表のゲームは観ているのかと問うと「自分が出ていない試合を観てもしょうがない」と吐き捨て、当時ジーコ監督が率いていた'06年ドイツワールドカップの日本代表にはほとんど関心を示さなかった。
滾る想いを放散させていた鈴木だが、その反面、当時の自分は技術的にも精神的にも日本代表の器ではないことを自覚してもいた。
「自分はサッカーが下手なことは分かっている。だって俺、日本でも有数のサッカーどころである静岡の清水で育ったんだよ。小さな子どもの頃から、周りには上手い奴がごろごろいた。だからプロになったからといって、環境が変わったわけじゃない。置かれた立場はずっと同じ。俺は雑草だよ。でも、雑草には雑草なりの生き方がある。他にはない個性がある」
そして一言、こう呟いた。
「自分の個性をどう活かすか。それが俺の生命線だと思うんだよね」
鈴木の個性を活かす場所。オシムは、それを彼に与えた。
オシム率いる日本代表の初陣となった'06年8月9日のトリニダード・トバゴ戦で先発フル出場を果たして以降、鈴木は全ての試合で先発リストに名を連ねてきた。オシムジャパン発足時の鈴木は「まだ海外でプレーしている選手が合流していないんだから、今の代表はあくまでセレクションの場」と認識していたが、時を経る毎に、その内面には自信が備わっていった。
「なんで自分が代表に選ばれるのか?― それを俺に答えろって?― そんなの分からないよ。オシムさんに直接聞いてよ」
そう言って苦笑いを浮かべた鈴木だが、その後にこう言葉を繋げた。
「オシムさんは、僕ら選手に特に何も言わない。『答えは自分で見つけろ』って感じだね。オシムさんとの会話は禅問答をしているみたい。それはマスコミの方もよく知っているでしょ(笑)。でもね、これはあくまで受け手側の問題なんだよ。その人に対してどう向き合うかで、いくらでも形は変わる」
“人もボールも動くサッカー”
オシムが掲げるサッカースタイルを端的に表した言葉である。鈴木はこの指針を練習やゲームで体現し、自分なりに結論を導いた。
「別に、どんなサッカーでも人とボールは動く。でも、その動きの意図が問題なんでしょ。プレーを選択する動機。そこに確固とした考えがなきゃ意味がないんだよ。自分のなかではゲーム中の判断力を重視している。攻撃に行くべきか守備をすべきか。チームが置かれたシチュエーションによって適切な判断をする。それが自分の生きる道だと思う」
日本代表の活動が深まるにつれて鈴木にあるジレンマが生まれていった。所属クラブである浦和と日本代表の間に横たわるギャップだった。
'07年シーズン。浦和はホルガー・オジェックを指揮官に迎え、新体制をスタートさせた。しかし、オジェックが推し進める戦術、采配に馴染めない選手たちは戸惑い、チームパフォーマンスを落としていった。そんななか、鈴木は明らかに不機嫌だった。
「なんで皆動かないの?― 俺だけ右往左往してバカみたいじゃん」
日本代表がオシムの下、着実に熟成の度合いを深めるなかで、所属クラブの浦和は、そのパフォーマンスが向上していかない。その現況に鈴木は幻滅し、辟易としていたのだ。
「自分の特性を発揮できる場所ってあると思う。(中村)俊輔さんや(中村)憲剛、ヤット(遠藤保仁)と一緒にプレーしていると自分が上手くなったように感じるよ(笑)。まあ、それは幻想だけど、俺はそういう選手を引き立てる役目を与えられていると思う」
オシムの日本代表は選手間の連係を重視したサッカーを志向する。しかしいまの浦和のサッカーはワシントン、ポンテらの個人技を前面に押し出した独力打開が中心となっている。どちらが自分にマッチするか。鈴木は自らの体験で、その答えを出したようだった。
(以下、Number694号へ)