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長谷川穂積 ほんまもんのチャンピオンになれた日。
text by
浅沢英Ei Asazawa
posted2006/04/20 00:00
──実際にグローブを合わせたウィラポンの実力に、1年前と変化はあったのでしょうか。
「力が落ちているということはなかったですが、強くなっているわけでもなかった。ただ、気合は凄かった。1年前のウィラポンの“さらに気合が入ったバージョン”です。やはり狡さはピカイチでした。低いボディをたくさん打ってきたのですが、単なるローブローかと思ったらそうじゃない。足の付け根を狙い打ちしてきた。凄い技術です」
──足とスピードを殺す狙いですね。しかし試合は、サウスポーの長谷川選手が放った右フック一発で決着しました。
「あれは、ずっと練習していた右フックでした。まず右ジャブで相手のガードを触って、意識を向けさせておくんです。そこから左を打つと、相手は無意識に反応してパンチを打って来る。そこですかさず、カウンターの右フックを打ち込むんです。第1戦でも、右フックはよく当たった。でも今回はウィラポンが警戒してきたので、KOの瞬間まで、あの右フックは出さずに、温存し続けていました」
──パンチの手応えは?
「感触は、まるで何もなかった。ふとウィラポンを見たら倒れていたので、ダウンしたんやとわかったくらいです。起き上がろうとして、起き上がれないウィラポンを見て、ああ、効いているなと」
──試合後、コーナーで座り込んでいるウィラポンに挨拶に行きましたね。
「ありがとうございました、と言いに行ったんです。タイ語で言おうかと思いましたが、この状況で、それは失礼かなと思って日本語で言いました。ウィラポンは、目で反応しました。敗者の寂しそうな目でした。負けたら、みんな、ああいう目になるんだろうなというような目でした」
──ところで、これだけの大勝負であったにもかかわらず、テレビ視聴率は、期待されたほどには伸びなかったと聞きます。
「視聴率の話は、試合の2日後に東京に行ったときに聞かされました。そのときは、もっと名前を売って行かなあかんなぁと考えたんです。顔も整えて、女性受けも良くせんとあかんのかなぁとかもね。でも神戸のマンションに帰ってきて嫁さんと子供2人、家族4人で蒲団を敷いて横になったとき、ふと思ったんです。もともと、ボクシングを始めた4回戦の頃って、ただ強くなりたかっただけとちゃうんかってね。視聴率なんて気にして、こぢんまりと小さくなってる自分にはっと気づいた。オレはこれからも、あの頃のいきいきとしたオレのままでええんと違うんかって」
──再戦に完勝したことで、真のチャンピオンになれたという思いはありますか。
「勝った瞬間に、それは、思いましたね。でもチャンピオンって変やなぁって思うんです。チャンピオンと言いながら、みんないつかは負けるんですよね。ボクシングのチャンピオンは、自分より強い相手との試合が巡って来るまでのチャンピオンなんですよね」
──それならば、チャンピオンでいる時間は、少しでも長く華やかな方がいいですね。
「いや、それでも結局は一緒でしょう。負けたら何も残らない。そういうもんやとオレは思います」
──負けることへの恐さはありますか。
「ウィラポンとの再戦に勝つまでは、恐かった。負けたら、単に名チャンピオンの引き立て役に終わってしまうわけですから」
──再戦に勝利したことで、長谷川選手の中で何かが変わったということですね。
「肩の力が抜けました。もう恐さは、まったくない。負けるのは仕方がないし、それを恐れて強い相手と戦うことから逃げていてはどうにもならないでしょ。ボクシングをやっている以上、いつか自分より強い相手に当たるんですから。でも、たとえ負けたとしても相手を苦しめて、さすがチャンピオンは強かったと言ってもらいたい。だから、これからも、少しでも強くなっていきたいし、そのためにもっと練習していこうと思います」