巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER
「原ほど可哀想な選手はいない」“落合vs原”現役引退の年、37歳原辰徳は何度も泣いた…41歳落合博満に負けた原「引退スピーチでの“名言”」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/03/31 11:06
1995年10月8日、巨人・原辰徳(37歳)の引退セレモニー。オープンカーに乗り、東京ドーム場内を一周した
「それは伝統だと思いますね。いろんな先輩たちが、選手だけでなくファンの人たちも含めて作り上げてきたもの。それはもうどういう人がきてもそこには立ち入ることができない。厚いカベというか……。またそういったことを選手たちも意識しながら、プレーすべきだと思います」(週刊ベースボール1995年10月30日号)
原辰徳は巨人軍の聖域を必死に守り、落合博満のFA移籍は結果的にその“厚いカベ”を破壊して、巨人軍を次の大型補強の時代へと進めた。酷な言い方になるが、プロ入り時はONの後継者を期待されるも、いざ辞める時に長嶋監督が4番を託したのは落合だった。いわば、原は落合に負けたのである。
16歳で甲子園のアイドルとなり、巨人のスーパースターとして勝ち続けた男が、37歳の現役最後に味わった敗北の味。そして同時に、のちに巨人監督最多の通算1290勝を記録する野球人・原辰徳の第二章が幕を開けた瞬間でもあった。この十数年後、原巨人と落合中日は、平成球史に刻まれる幾多の名勝負を繰り広げることになる。
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1995年のペナントレースは、9月30日に野村克也監督率いるヤクルトスワローズが宿敵の巨人に勝ち、2年ぶりのリーグ優勝を決めた。21時40分、平凡なセンターフライを打ち上げ、最後の打者になった若者は、歓喜に沸く神宮球場で恐怖に近い危機感を抱いたという。
「このままではオレは終わってしまう……」
彼こそ、原から“巨人軍の聖域”を託された男。そして、落合から4番を奪うことを宿命づけられた選手だ。不完全燃焼のままプロ3年目のシーズンを終えた、21歳の松井秀喜である。
<続く>