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「チームに迷惑がかかるんで」巨人・落合博満40歳に最悪のアクシデント、太ももの激痛「なぜ年寄りを獲るんだ」“落合否定派”だった中畑清の反省 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/01/28 11:02

「チームに迷惑がかかるんで」巨人・落合博満40歳に最悪のアクシデント、太ももの激痛「なぜ年寄りを獲るんだ」“落合否定派”だった中畑清の反省<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1994年、伝説の試合「10.8決戦」。3回裏、ケガをした落合博満を中畑清コーチが背負ってベンチへ

 3回表、ヒットで出塁した川相昌弘を三番松井がバントで送った直後、落合が今度は詰まりながらもしぶとくライト前に運ぶ執念のタイムリーで勝ち越し。試合後に今中が「絶対に点を許してはいけない場面だった。2回のホームランより、このヒットのほうが痛かった」と振り返った一打で、ゲームの流れを再び巨人にぐっと引き寄せた。

「川相がホームインした姿を確認した落合はニヤッと笑った。(中略)この回の攻撃が終わってベンチに戻った落合は、所サブマネージャーに『所さん、ああいうヒットがないと駄目だよな』と冗談めかして話しかけている。いいムードになってきた、と落合は感じていた」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)

落合にまさかの“アクシデント”

 しかし、アクシデントは3回裏に起こる。一塁手・落合が立浪和義の強烈なゴロを処理しようとした際、グラウンドに足をとられて股裂きのような形になり、左太もも内転筋を痛めてしまう。しばらく立ち上がることができず、激痛に顔がゆがむ。長嶋監督も駆けつけ、担架も用意されたが、背番号60は治療のため中畑清打撃コーチに背負われて三塁側ベンチ裏に下がった。実は中畑は当初、落合の獲得に強い抵抗を覚えたという。

「私と同じ学年の40歳。なんで今さらあんな年寄りを獲るのか。一緒に労組選手会を立ち上げながら91年に脱退、そんなヤツが、選手会が苦労して勝ち取った権利を真っ先に行使するのも抵抗があった」(我が道/中畑清/スポーツニッポン新聞社)

 だが、実際にコーチとして接した落合の野球に対する考え方、取り組む姿勢に感服させられる。キャンプでは疲れをとるため愛用の枕まで持ち込み、バットは1グラムも重さが変わらないようジュラルミンケースに入れて保管する。日常の生活すべてが野球という、あそこまで野球に命をかけている選手を中畑は見たことがなかったのだ。

「オレは出るから!」と、トレーナー室で痛み止めの注射を打ち、患部をテーピングで何重にも固めた背番号60は8分後にグラウンドに再び現れたが、もはや立っていることも厳しいのは誰の目にも明らかだった。その回が終わると、長嶋監督に自ら「チームに迷惑がかかるんで、代えてもらえますか」と交代を申し出る。4回裏の守備から、一塁には三塁の原辰徳が回り、落合の10.8決戦はここで終わりを告げる。スコアボードから名前が消えて以降は、ベンチ裏で痛めた足をアイシングしながらゲームの行方を見守ったが、確かにオレ流の闘志は巨人ナインに勇気を与えた。

<続く>

#25に続く
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