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「アントニオ猪木でも死ぬんだ」没後1年、燃える闘魂の遺骨は“ある場所”を旅していた…猪木番カメラマンが記した「猪木のいない1年間」

posted2023/10/06 17:00

 
「アントニオ猪木でも死ぬんだ」没後1年、燃える闘魂の遺骨は“ある場所”を旅していた…猪木番カメラマンが記した「猪木のいない1年間」<Number Web> photograph by Essei Hara

アントニオ猪木は“永遠の旅人”なのかもしれない。1990年3月、セスナ機でブラジル・アマゾンの奥地に降り立った猪木

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原悦生

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Essei Hara

2022年10月1日にアントニオ猪木がこの世を去って、1年が経った。燃える闘魂に魅せられた人々は、「猪木のいない時間」をどう生きてきたのか。半世紀にわたって猪木を撮り続けたカメラマンの原悦生氏が、“猪木がつないだ縁”や在りし日の旅の思い出を綴った。

 時間が経つのが早く感じられた1年だった。1年前の10月1日の夜、自らの目でその死を確認するために、信じられない気持ちで夜遅くにアントニオ猪木の自宅を訪問した。

 忘れがたい風景。「猪木さん」と心の中で叫んで、「アントニオ猪木でも死ぬんだ」と思った。

NHKに生出演、カタールでも続いた「猪木取材」

 翌日から何本かのテレビ番組に駆り出された。私はテレビで育った世代だが、テレビはあまり好きではない。時間に追われているからだ。テレビというのは大抵、無茶苦茶だ。でも、聞かれるがままに猪木を語った。

 私は猪木の写真は撮ってきて、近くで見てきたが、そんなに猪木を語ることはなかった。NHK『クローズアップ現代』での桑子真帆アナとの対談は生だった。編集作業は番組開始直前まで続いていた。藤波辰爾らは録画なのに、「なんでオレだけ生? これは無謀ではないか」とも思った。

 桑子アナはその数カ月前に番組で猪木に1度だけ会っていて、「マフラーを記念にいただいた」と微笑んだ。猪木が好きなのが伝わってきた。番組終了後は私のカメラに向かって「ダーッ」のリクエストに応えてくれた。

 猪木さんのことだから、テレビもラジオも一つも断ることはしなかった。新日本プロレスの両国国技館大会での10カウント。そして通夜があり、葬儀があった。

 11月にはカタールまでサッカーのワールドカップの取材に出かけたが、日本からの「猪木取材」は続いていた。それにはリモートで応じた。雑誌やスポーツ紙だけでなく、朝日や読売も入っていた。そして、「猪木を好きな人がこんなにいるんだ」と再確認した。

 年末には両国国技館で格闘技の追悼イベントがあり、3月7日には同所で「お別れの会」が催された。ひとつひとつが形式的なセレモニーに過ぎないのかもしれない。それでも猪木に魅せられた人々が、そこに足を運んだ。同時進行のような形で猪木のブロンズ像の制作も進んでいた。

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