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長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか? 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/09/17 11:02

長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2001年、いまだ破られぬ六大学野球最高打率を記録した喜多隆志が慶応大時代とプロ生活を振り返る

「トレードに出してください」

 球団の反応は冷ややかだった。

「球団からは『それは5年目がダメだったらロッテには残れませんよっていうことだよ』と。外から話がなくて、ロッテでもダメだったら、もうあかんやろうな、という覚悟はありました」

慶応大先輩のアドバイスでつかんだ新しい感覚

 背水を期して臨んだプロ5年目。慶応大先輩の佐藤友亮と自主トレを行い、これまでの右手主導から、左手で押し込んで打つ打撃をアドバイスされた。

「元々、右手の感覚で打っていたのを、左手の感覚で打つことで『こんなに変わるんや』と。左投げなので基本的には左手の感覚のほうが強いんだと思います。5年目のバッティングが一番感覚がよくて、今の指導に繋がっている部分もあります」

 結局、他球団からトレードの話はなかった。この年、二軍では160打数45安打、打率.281、4本塁打。代打での1打席勝負で結果を残すことも多かったが、一軍に上がることなかった。

26歳でプロ野球を去る

 そして2006年10月2日。球団から戦力外通告を受けた。5年間で一軍通算53試合、わずか22安打だった。

「どんなボールに対してもアジャストして全部いい打球を打ちたいっていうのが理想でしたけど、足が速い方ではなかったので、もう少し長打にこだわっていた方が違った形で評価されたのかもしれません。5年目は遠くに飛ばせる感覚もあったので。今となっては分からないですけどね」

 喜多には3つの夢があった。「甲子園」「プロ野球選手」そして「高校野球の指導者」。トライアウトを受験しながらも、心は残る最後の夢へと傾いていた。26歳の晩秋だった。

 <続く>

#2に続く
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