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慶応大のドラ1が引退後、受け取った月給は12万…野球エリートが直面した“社会の現実” 元ロッテ・喜多隆志が明かす「興国高監督になるまで」

posted2023/09/17 11:03

 
慶応大のドラ1が引退後、受け取った月給は12万…野球エリートが直面した“社会の現実” 元ロッテ・喜多隆志が明かす「興国高監督になるまで」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2018年夏から興国高校を率いる喜多隆志監督。2006年オフに戦力外通告となってから今に至るまでの話を聞いた

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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Sankei Shimbun

 現在は大阪で興国高校野球部の監督を務めている喜多隆志。プロ野球選手を引退後、社会の現実に直面しながらも3つ目の夢「高校野球の監督」を叶えるまでの道のりを振り返る。(Number Webノンフィクション 全2回の第2回/前回は#1へ)

キャンプインの日に初出勤

 2006年、喜多隆志はトライアウトが不合格になった後、現役引退を決断。高校野球の指導者を目指した。

 慶応大恩師の後藤寿彦さんの導きもあり、岐阜経済大(現岐阜協立大)で教員免許を取得する傍ら、スポーツ用品を扱うヒマラヤスポーツ本館(岐阜市)に勤務。仕事始めはプロ野球のキャンプインに重なる2007年2月1日だった。

「いつもだったらキャンプインの日。『何してんねん』とか『あと4年は長いな』とか、先のことを考えて結構しんどかったですね」

大学での勉強と並行して接客業

 当時はアマチュア資格を回復するのに教職課程の履修に2年、さらに教壇に2年立つ必要があった。先の見えないトンネルの中で過ごす暗中模索の日々。慣れない接客業も追い打ちをかけた。

「基本的に話すのはすごく苦手なんです。でも、ヒマラヤスポーツはお客さんと話をしないといけない。野球コーナーで接客をしながらレジ打ち、グラブやスパイクの修理も全部やりました。感覚的に野球をしている時よりもしんどいのに、最初の月給は12万円。金銭感覚も含めて、現実というか、これが本当の社会なんだということを知ることができました」

慶応大卒というプレッシャー

 ドラフト1位で入団した喜多の1年目の年俸は1300万円。その落差は非常に大きなものだった。仕事以外では週末は岐阜の少年野球やボーイズリーグの指導にあたるなど、忙しい毎日を送る中で、学業面も「慶応大卒のプライド」で乗り切った。

「絶対に単位は落とされへんと自分でプレッシャーをかけていて、成績は確か一個だけBで、あとは全部Aでした。意地でしたよね(笑)」

生意気な子、好きなんです

 教員免許を取得後、大学の野球部ならプロ引退から2年で指導が可能だったこともあり、朝日大(岐阜県瑞穂市)で助教として教壇に立ちながら、野球部のコーチを務めた。そこでは、部員と正面から向き合うことの大切さを学んだ。

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