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長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか? 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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photograph bySankei Shimbun

posted2023/09/17 11:02

長嶋茂雄でも岡田彰布でもない…東京六大学最高打率「.535」を叩き出した慶応大“伝説のバッター”は、なぜ26歳で球界を去ったのか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2001年、いまだ破られぬ六大学野球最高打率を記録した喜多隆志が慶応大時代とプロ生活を振り返る

 蜂窩織炎は傷口などから細菌が侵入し、発症すると炎症を起こした部位が痛みや熱感を伴って腫れ上がり、発熱や悪寒、倦怠感などの全身症状を発症。中には敗血症などに移行して命に関わるケースもあるという。

「医者から『何でこんなになるまで放っておいたの。死ぬよ』と言われました。そこから3週間入院して、最後の早慶戦には戻りましたけど、打てるはずないですよね」

素振りをしないと寝られない

 結局30打数5安打、打率.167と低調に終わり、7シーズン目にして初めて規定打席にすら到達しなかった。さらに8月初旬、蜂窩織炎が再発し、高熱にうなされながら再び3週間入院。ほぼぶっつけ本番でラストシーズンを迎えることになった。

「お酒を飲みに行って夜の2時とか3時に帰ってきても素振りをしないと寝られないタイプだったので、その人間が入院してバットを持てないっていうのは最初辛かったです。もうこれで野球人生終わったなって思いましたし、ほんましんどかったですけど、結果的に必要な時間だったのかなと思います」

初めて解けた重圧

 野球を始めた時から、こんなにも長い期間、バットを振らないことはなかった。入院明け。恐る恐るバットを握り、スイングしてみた。これまでにない感覚だった。

「新鮮な気持ちでしたね。野球を楽しもう、みたいな感じで凄く余裕が生まれたというか、打てなくても仕方がないという感じに、いい意味で開き直れました」

 高校でも大学でも、下級生の頃からチームの主軸を担ってきた。それゆえ、「打たなければいけない」という重圧が常につきまとったが、「打てなくても仕方ない」と開き直れたことで、喜多の打撃は好転していく。リーグ戦前最後のオープン戦。体勢を崩され、泳ぎながらも、バットを最後に走らせてセンター前へと運んだ打球を目で追いながら、ラストシーズンで戦える確信を得た。

早慶戦を前に打率.618

「あのバッティングが自分の中のバロメーターというか、確認できるところでした。『ちょっとこれ感じいいな』と思ったのは今でも覚えています」

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