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「高校野球史上最高」あの江川卓から特大ホームラン…“早稲田実の伝説的バッター”を直撃取材「あの感触は今も鮮明に…」「全部ストレートでした」

posted2023/04/01 11:00

 
「高校野球史上最高」あの江川卓から特大ホームラン…“早稲田実の伝説的バッター”を直撃取材「あの感触は今も鮮明に…」「全部ストレートでした」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

「作新学院の怪物」江川卓からホームランを打った男――阿部功氏(当時・早稲田実)がインタビューに応じた

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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 作新学院時代の江川卓は、伝説と記録に彩られている。

 高校3年間の公式戦通算記録は、44試合に登板して、ノーヒットノーラン9回、うち完全試合2回。1試合当たりの奪三振数13.5個。対して1試合当たりの被安打数は、わずか2.6本だ。

 センバツ甲子園の記録として今も残る一大会60奪三振(4試合)、高校3年夏の栃木大会5試合を被安打2で制覇、36回連続無安打無失点……とまさに超人的な数字が並ぶ。当然のように、高校3年間の公式戦で喫した本塁打はゼロ。「高校野球史上最高ピッチャー」ともいわれる所以はそこにある。

 しかし、そんな無敵の怪物が同点本塁打を浴び、試合途中で降板に追い込まれた試合がある。江川が1年の夏に行われた、早稲田実業との練習試合である。

“江川が打たれた”伝説の試合

 いったいどんな試合だったのか。この試合で江川から本塁打を放った早実の5番打者・阿部功氏(早実-早大-明治生命)に、試合の詳細を聞くことができた。

 この試合が行われたのは、1971年8月。江川が1年生、阿部氏が2年生のときだった。当時、早実と作新学院の間で、毎年5、8月に定期戦が行われていたという。

 8月の交流戦は、両校ともに甲子園出場が叶わなかった場合に開催されており、1971年は両校とも出場を逃がしたため、当時の早実の練習拠点だった「早実武蔵関グラウンド」(練馬区関町北)で、一日2試合の交流戦が行われた。

 この第一試合、作新学院の先発投手こそ、当時1年生だった江川だった。

「作新に、江川という凄い一年生投手がいることは知っていました。栃木大会で完全試合をやってますからね」

 江川は、1年生ながら夏の栃木大会の2回戦に早くも登板。救援で5回を投げて7奪三振無失点。15人の打者をパーフェクトに抑えて監督の信頼を勝ち取り、実質的にエースの座についた。

 先発登板した3回戦でも、8回を3安打6奪三振無失点に抑える。こうして迎えた準々決勝の烏山戦で、江川は中学を卒業してわずか4カ月弱にして栃木県高校野球史上初となる完全試合を達成したのだった。

 その情報は当然、早実にも伝わっていたのである。

初対戦の回想…「全部ストレートでした」

 そんななか行われた定期戦は、前日の台風の余波で、ホームから外野に向かって10メートル近い強風が吹く悪天候のもと始まった。

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