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現役時代の魁皇は“横綱に推す声”をどう受け止めていた?「貴乃花のときもそうでしたが…」優勝5回、“横綱にもっとも近づいた名大関”の告白

posted2023/07/08 11:22

 
現役時代の魁皇は“横綱に推す声”をどう受け止めていた?「貴乃花のときもそうでしたが…」優勝5回、“横綱にもっとも近づいた名大関”の告白<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

元大関・魁皇の浅香山親方のロングインタビュー最終回。幕内最高優勝5回の名大関に、横綱昇進が叶わなかった当時の心境を聞いた

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飯塚さき

飯塚さきSaki Iizuka

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Shigeki Yamamoto

元大関・魁皇の浅香山親方(50歳)のロングインタビュー最終回。幕内最高優勝5回という記録を残しながら、横綱にはあと一歩届かなかった「名大関・魁皇」の現役時代を、本人はどう評価しているのか。「番付が上がれば上がるだけ、付き合いが減っていった。それも自分の“弱さ”だった」という言葉の真意と、指導者としての奮闘に迫った。(全3回の3回目/#1#2へ)

横綱昇進を逃すも「この成績で上がったら笑われる」

――大関として土俵に立ち続けるなか、何度も綱取りのチャンスがありました。特に2004年秋場所で5度目の優勝(13勝2敗)を果たした後、続く11月の九州場所で12勝3敗。「横綱昇進か」という声もあったと思いますが、当時の心境はいかがでしたか。

 いや、自分のなかではあり得ないと思っていました。3敗の時点でもうないし、ましてやひどい相撲で負けているので。貴乃花のときもそうでしたが、当時の昇進基準は厳しかった。そのイメージがあったからこそ、この成績で上がってしまったら笑われると思いました。周りはなんだか気を遣っていてくれたみたいだけど、自分としては「上がれなくて当たり前だろう」と思っていましたね。本当に強い人間だけが上がっていかなきゃいけないし、普段の生活から徹底していないと、横綱にはなれないものだと思うので。

――それは生活のすべてを相撲に捧げる、ということでしょうか。

 そうですね。自分の場合、実は番付が上がれば上がるだけ、人付き合いが減っていったんですよ。治療やトレーニングなど、自分のなかでやるべきことを計画していくんですが、食事会などの用事ができると、スケジュールが崩れてしまいますよね。それを避けようとして、自然と人付き合いがどんどん減っていったんです。

――まったく逆だと思っていました……。

 そう思うでしょ。じつは違うんです。自分は生活のすべてを治療とトレーニングに費やしたかったから、「それを理解してくれる人とだけ付き合えばいい」と。結果的に、付き合いを切られることもかなりありました。でもね、それも自分の“弱さ”だと思うんです。そういったお付き合いも含めて、すべてをしっかりとこなしながらやっていけるのが本当に強い人。ほかの競技でもそうだけど、やっぱり誰が自分を支えてくれているかといったら、応援してくれている人たちなんですよ。みなさんの支えがあって自分たちの生活が成り立つわけで、それができないということは、本当はダメなんですよね。だから、そういうことまで全部できる人が上に立つべきなんです。それができなかった自分は、やはりそれまでの人間だなと思いました。

【次ページ】 趣味は“治療”…徹底的に肉体をケアした現役晩年

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