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現役時代の魁皇は“横綱に推す声”をどう受け止めていた?「貴乃花のときもそうでしたが…」優勝5回、“横綱にもっとも近づいた名大関”の告白 

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飯塚さき

飯塚さきSaki Iizuka

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2023/07/08 11:22

現役時代の魁皇は“横綱に推す声”をどう受け止めていた?「貴乃花のときもそうでしたが…」優勝5回、“横綱にもっとも近づいた名大関”の告白<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

元大関・魁皇の浅香山親方のロングインタビュー最終回。幕内最高優勝5回の名大関に、横綱昇進が叶わなかった当時の心境を聞いた

趣味は“治療”…徹底的に肉体をケアした現役晩年

――しかし、魁皇関のキャリアの長さは間違いなく特筆すべきものです。ケガもあるなかで長く相撲を取れたのは、そういった重点的なケアがあったからこそ、と言えるのでは。

 大関時代は、治療が“趣味”みたいになっていました(笑)。ケガをしたときの対処法はある程度わかっていましたけど、車でいつも送り迎えしてくれた妻は大変だったと思います。あとは、できるだけ稽古を休まなかったのもよかったんでしょうね。1カ月半ほど相撲から離れてトレーニングに励んだ時期(1994年春場所後/#2参照)をのぞいたら、稽古を長く休むことはありませんでした。やめるまでずっとまわしを締めて土俵に上がっていましたから、そういう生活ができたことが長く相撲を取れた一番の要因じゃないかと思います。

――通算1047勝(幕内通算879勝)という偉大な記録を残し、魁皇関は2011年の名古屋場所を最後に、土俵人生に終止符を打たれました。引退後は友綱部屋の部屋付き親方となり、2014年に独立して浅香山部屋を設立。現在は部屋の師匠として後進の指導にあたっています。親方としての指導方針を教えていただけますか。

 なによりもまず基礎を徹底して教えています。基礎がないことには、相撲は強くなれませんから。あとはとにかく、前に攻めること。逃げるな、楽をするな、あえて自分から苦しい稽古をしろ……。弟子たちにはそう伝えています。「引く動作」は教えなくても流れのなかで自然と身につくものですが、「押す力」は意識的に稽古をしないとつきません。立ち合いで相手の陣地にしっかり足を運んで、下から攻めていく。各々得意な形というのはありますが、まずはそれがベースになります。

――現役時代は「気は優しくて力持ち」という理想の力士像を体現する存在でもあった親方ですが、弟子にはどんなお相撲さんを目指していってほしいですか。

 自分自身はそういった理想を持ってやってきましたが、最初は相撲を知らなかったこともあって、誰かに憧れるとか、真似をしようと思ったことはなかったんです。よく言うのは、「人の真似をするな。人に真似されるような相撲取りになりなさい」ということ。同じ人間ではない以上、ほかの人と完全に同じことはできない。もちろん基礎は欠かせないものだけれど、そこから個々に合ったスタイル、一人ひとりが得意なことを見つけてあげて、型にはめないこと。たとえば自分の場合は右の上手、千代大海は突き押し、というふうに。指導は難しいですが、「押しつけ」にはならないように常に意識しています。

【次ページ】 なぜ、多くの力士が魁皇に憧れるのか

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