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メジャー球団を驚かせた“史上最も過小評価”の日本人ピッチャー…阪神ファンが泣いた“村山実の伝説”「岡田彰布が大ファン」「シーズン防御率0点台」

posted2023/07/03 11:01

 
メジャー球団を驚かせた“史上最も過小評価”の日本人ピッチャー…阪神ファンが泣いた“村山実の伝説”「岡田彰布が大ファン」「シーズン防御率0点台」<Number Web> photograph by Makoto Kenmizaki

戦後唯一の「シーズン防御率0点台ピッチャー」村山実(阪神)の伝説とは

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太田俊明

太田俊明Toshiaki Ota

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Makoto Kenmizaki

 球史に残る大投手の生涯ベストシーズンの成績を比較して、日本プロ野球史上No.1投手を探る旅。沢村栄治、江川卓、野茂英雄らに続く第12回は、戦後唯一の「シーズン防御率0点台ピッチャー」村山実(阪神)だ。

「シーズン防御率0点台」村山実の伝説

 日本プロ野球史上、村山実ほど過小評価されている投手はいないように思う。

 阪神一筋14年にわたりプレーした経歴をもつが、「阪神の歴代最高投手は誰か」と聞かれたら多くの人は江夏豊と答えるだろう。その点、村山の名は、小山正明(阪神-ロッテ-大洋)、ジーン・バッキー(阪神-近鉄)らと並ぶ第二集団の扱い。しばしば議論される当企画のような“史上最高投手”の候補にも、なかなか名前が挙がらない。

 だが、村山が残した成績は圧倒的だ。なにしろ、戦後ただ一人のシーズン防御率0点台達成者(0.98/1970年)である。「味方が1点取れば勝てる投手」というのは破格としか言いようがない。さらに、通算防御率2.09は今も残るセ・リーグ記録(投球回2000以上)。3度の沢村賞受賞も、杉下茂、金田正一、斎藤雅樹と並ぶ最多タイ。通算222勝は、戦後の大学卒投手で最多である(戦前が主戦場の若林忠志を除く)。

 1962年(昭和37)秋に来日したデトロイト・タイガースとの日米野球では、8回2死までノーヒット・ノーランに抑える快投で2安打完封。これが日本人投手の日米野球での初完封勝利だった。「沢村栄治二世」と讃えられ、デトロイトの監督から「来年うちでやらないか」と勧誘されたというエピソードを残している。

“史上最も有名な本塁打”を打たれていた…

 これほどの実績を持つ村山が、なぜ過小評価されるのか。それは、ミスタープロ野球・長嶋茂雄を生涯のライバルとした“悲劇性”にあるのではないだろうか。

 村山でオールドファンが真っ先に思い起こすのは、球史を飾る1959年(昭和34)6月25日の天覧試合だろう。巨人対大阪(阪神の前身)の激闘となったこの試合は、4対4で迎えた9回裏に、長嶋のレフトポール際のサヨナラホームランで幕を閉じた。この“史上最も有名なホームラン”を喫して負け投手になったのが、7回途中から救援した新人・村山実だった。

【次ページ】 涙の抗議「ワシらは一球に命をかけてるんや」

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