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「じつはジョーダンは“コンバース愛用者”だった」「コンバース+アディダス83%vs17%…弱小だったナイキ」伝説のシューズがすべてを変えた、驚きの実話 

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生島淳

生島淳Jun Ikushima

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posted2023/04/20 17:02

「じつはジョーダンは“コンバース愛用者”だった」「コンバース+アディダス83%vs17%…弱小だったナイキ」伝説のシューズがすべてを変えた、驚きの実話<Number Web> photograph by AFLO

1984年のドラフトでシカゴ・ブルズに入団したジョーダン。彼が履いた「AIR JORDAN」は初年度から爆発的な売上を記録した

 AIR JORDANの製作元年であり、シューズの持つ価値が変わっていく。

 そして10年も経たないうちに、バスケットボールは世界の人々に愛されるスポーツになった(1980年代初頭、アメリカでNBAファイナルは、なんと深夜に録画で放送されていたに過ぎなかった――と映画の中の台詞で紹介されるほど、バスケはイケてないコンテンツだった)。

 ブルズに入団したジョーダンのスラムダンクは世界中の人を驚愕させるが、しばらくは悪童集うデトロイト・ピストンズに苦戦を強いられ、マジック・ジョンソンがいたロサンゼルス・レイカーズを破ってようやくNBAを制するのは1991年である。

 そして1992年のバルセロナ・オリンピックでは「ドリームチーム」が結成され、AIR JORDANとNBAが蒔いた種は世界へと広がり、今やNBAは世界中から最高の選手たちを集めている。

AIR JORDANは初年度から爆発的に売れた

 人気が出れば、富が生まれる。

「AIR/エアー」では、ナイキとジョーダンの「とある契約」がスポーツビジネスを根本的に変えることが示唆される。

 いまでは個人のシグネチャー・モデルが発売されるのは普通のことだが、1984年の時点ではフツーのことではなかった(アーサー・アッシュのHEADのラケットがヒントになったことが映画では示される)。

 AIR JORDANは初年度から爆発的な売り上げを示し、以降、タイガー・ウッズやロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダルの個人ブランドも生まれていった。ナイキとジョーダンの契約は、プロアスリートのプラットフォームとなったのである。

 そしていま、ジョーダン・ブランドが許されたチーム、大学も存在し、リクルーティングにおいて強力な力を発揮している(ジョーダンの母校、ノースカロライナ大学や、ミシガン大学など)。

 いま、われわれが目の当たりにしているスポーツビジネスの嚆矢は、1984年にあったのである。

◆◆◆

 もしも、映画を見て興味をそそられたのなら、私がもっとも尊敬するジャーナリストであるデイビッド・ハルバースタムの「ジョーダン」、そしてナイキの創業物語である「SHOE DOG」をぜひとも読んで欲しい。

 ハルバースタムの「ジョーダン」にはナイキとの最初の交渉の模様が再現されており、そしてフィル・ナイトの自伝である「SHOE DOG」は、ナイキというカンパニーのカルチャーを知るには絶好の書物だ(いかに日本との関係が深いかも分かるはずだ)。

 ナイキとジョーダンの出会いは、大げさではなく世界を変えた。

「AIR/エアー」は40年前を舞台にスポーツファン、そしてかつてのアメリカ映画ファンにとって必見の映画だが、オープニングでは、1985年のヒットソング、”Money for Nothing”が流れ、プレゼンテーションの日にはシカゴ・ブルズの“Sirius”が大音量で流れるなど、監督・ベン・アフレックのユーモアセンス、皮肉も効いている。

 みなさんには、ぜひ1984年への旅を楽しんで欲しい。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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