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「勉強ばっかりして、野球部にいる意味あんのか?」東大野球部も就職氷河期世代は“30%超”が留年…エリートも当時は就職難に悩んだ?

posted2022/08/04 17:01

 
「勉強ばっかりして、野球部にいる意味あんのか?」東大野球部も就職氷河期世代は“30%超”が留年…エリートも当時は就職難に悩んだ?<Number Web> photograph by KYODO

写真は昨年秋の東京六大学野球。立教大を破って喜ぶ東大ナイン。文武両道のエリートたちも就職氷河期世代は就活に悩んだのだろうか?

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沼澤典史

沼澤典史Norifumi Numazawa

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KYODO

日本最難関大学である東京大学に入学し、さらに体育会の花形である野球部で活躍した学生は、文武両道の“スーパーエリート”と呼んでいいだろう。就活に滅法強そうな彼らも就職氷河期は苦しんだのだろうか? データでは当時30%以上の野球部員が留年している。就職氷河期世代のOB3人に証言してもらった(全2回の1回目/#2へ)。

じつは東大野球部の27%が留年している

 筆者は、今年6月に東大野球部OBの進路(1992年~2022年)について年代別に概観する記事を書いた。おかげさまですくなくない反響があったが、特に、卒部後の進路として、大学に残った(留年)者が多数いる事実に、読者の目は向いたようだ。なにしろ、調査対象とした31年間(92~22年)の卒部生475人のうち、27%にあたる130人が、大学を4年で卒業せずに留年している。国立の最高学府でのこの状況は、気になるところだ。

 彼らは、なぜ就職しないのか。なぜ留年するのか。

 誰しも頭に浮かぶのは、就職留年だろう。前記事「『“東大野球部に入ると留年する”って本当ですか?』文武両道の神童たちはどんな進路を歩む? 東大野球部の就職先ランキング《92年~01年編》」でも、1998年に卒部し、1999年に三菱商事に入社した学生のケースを紹介している。

 就職氷河期は、大卒者に対する求人倍率が2倍を切った1993年から始まるとされるが、とりわけ厳冬だった2000年には、0.99倍まで落ち込んでいる。ちなみに、その前年の1999年は1.25倍で、2001年は1.09倍、2002年は1.33倍だ(※各年の数字は、リクルートワークス研究所『大卒求人倍率調査』より)。

 この頃の就活戦線においては、たとえ早稲田慶應クラスでも、志望企業・志望業界から内定を得られない者がゴロゴロいた。不本意な就職をするくらいなら翌年に改めて新卒としての就活を仕切り直そうと、彼らの多くは卒業せずに就職留年を選んでいたものだ。では、こうした就職“超”氷河期世代の東大野球部OBは、どのような就活をしていたのだろうか。

「4年間ではとうてい単位が足りませんでした」

 1999年は、38.8%(18人中7人)。2000年は、37.5%(16人中6人)。2001年は33.3%(15人中5人)。2002年は、54.5%(11人中6人)。

 これは、就職“超”氷河期における、東大野球部卒部者の進路に占める、留年者の割合である。前出の31年間の平均である27%よりも顕著に数字が大きい。知力体力ともに揃った東大野球部の神童たちも、氷河期の影響を受けているのかもしれない。まずは、その最も深い谷間である2000年に卒部して留年を選んだ、古谷嘉三(奈良学園)に話を聞いてみよう。

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