“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
齋藤学のマリノス愛を見た9年前。
ロシアW杯、海外移籍は諦めない。
posted2017/09/27 16:30
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
横浜F・マリノスMF齋藤学、右膝前十字靭帯損傷で全治8カ月――。
9月26日に衝撃的なニュースが流れた。23日のJ1第27節のヴァンフォーレ甲府戦でスタメン出場していた齋藤は、64分に相手選手との球際の競り合いで、右足を踏ん張った際にその膝を負傷。一度はピッチに戻り、プレーを再開させたが、続行は不可能に。72分に交代を告げられた。
この時は怪我の状態こそはっきりしなかったが、精密検査の結果はまさに最悪の結果だった。
このニュースはマリノスサポーターに大きな衝撃を与えただけでなく、「ロシアW杯出場は絶望的か?」というフレーズはサッカーファンにも衝撃を与えた。
W杯出場はサッカー選手ならば誰もが憧れる夢であり、ほとんどの選手が叶えられないものである。その夢を叶える可能性を持った選手の大怪我による長期離脱は、マリノスサポーターでなくてもショックを受けるはずだ。
筆者もその1人だ。小学校時代からマリノス一筋の彼は、169cmと小柄で華奢な身体だが、それを補ってあまりあるドリブルの技術を、自分の生きる術として、この道一筋に磨き続けた。
「誰が何と言おうと、僕はこの『ドリブル』で生きていく」
昔、筆者が取材した時に聞いたこの言葉。彼は、ユース時代に言い放ったこの言葉を、そのまま有言実行し続けているのである。
順風満帆ではなかったが、真っ直ぐ己の道を歩いてきた。
プロ3年目にはJ2の愛媛FCに1年間の武者修行に出されるなど、決して順風満帆な道のりではなかった。だが、自分の信念を貫き通し、いつしかマリノスの主軸となり、2013年には日本代表に初選出されると、2014年のブラジルW杯のメンバー入りを果たした。出場機会こそ訪れなかったが……W杯を肌で感じることは出来たのだ。
そして、その後は怪我などもあり、日本代表から遠ざかっていたが、今年に入りクラブのレジェンドである中村俊輔(現・ジュビロ磐田)から、エースナンバー10を託された……その矢先の出来事となった。