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井手口と浅野が変えた予選の意味。
2017年8月31日は歴史の転換点に。

posted2017/09/01 11:40

 
井手口と浅野が変えた予選の意味。2017年8月31日は歴史の転換点に。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

試合を、つまりW杯出場を決める2点目をゴール右隅に突き刺した井手口陽介。21歳、この衝撃は鮮烈だった。

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戸塚啓

戸塚啓Kei Totsuka

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Asami Enomoto

 2017年8月31日の歓喜は、これまでとは明らかに違う種類のものだった。

 1998年のフランスW杯出場は、中田英寿を中心に切り開かれた。攻撃のエースはカズこと三浦知良だったが、当時20歳のMFの台頭は驚きでなかった。最終予選途中までチームを指揮した加茂周監督は、前年秋のアジアカップ後にも「新しい選手がレギュラーに食い込んでこなければ、W杯予選突破に苦しむ」と話し、1次予選の途中から中田を起用していた。“ジョホールバルの歓喜”の中心に彼がいたのは、そこへ至るプロセスを考えれば必然だったとも言える。

 2006年のドイツW杯最終予選は、'02年の日韓W杯を知る選手がコアメンバーとなった。チームの基本的な陣容は、4年前とほとんど変わらなかった。

 '10年の南アフリカW杯への道のりでは、'08年の北京五輪に出場した選手たちが加わってきた。とはいえ、チームの看板選手はベテランの域に差し掛かった中村俊輔であり、中澤佑二だった。

 4年後のアジア最終予選は、南アフリカW杯のメンバーがほぼそのまま中核を担った。中村俊、中澤、田中マルクス闘莉王らは抜けたものの、主力と見なされている選手が勝敗に大きな影響を及ぼしていた。

これまでなら、経験や実績に頼る場面だった。

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督のもとで勝ち取った、ロシアW杯の出場権はどうだったか。ホームでUAEと対峙した最終予選第1戦は、スタメンの10人までがブラジルW杯のメンバーだった。海外のクラブに所属し、W杯本大会も最終予選も体験済みの選手たちが、勝敗の責任を背負ってきた。

 勝てばロシア行きを決められる一方で、負ければ予選突破に黄色信号が灯るオーストラリア戦は、紛れもない大一番だった。これまでの日本代表の精神的環境なら、経験や実績を頼りにする局面である。最終予選序盤のハリルホジッチ監督も、例外ではなかった。所属クラブのプレータイムにひとまず目をつぶっても、対外的な影響力の高い選手を起用する一面はあった。

【次ページ】 浅野と井手口が決めたことに価値がある。

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