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ボルトに差し出された右手の意味。
「今までありがとう」と伝えると……。

posted2017/08/12 16:00

 
ボルトに差し出された右手の意味。「今までありがとう」と伝えると……。<Number Web> photograph by Shizuka Minami

2012年、ジャマイカでのワンシーン。母国の子供たちにとって、彼は唯一無二のスーパースターだった。

text by

及川彩子

及川彩子Ayako Oikawa

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photograph by

Shizuka Minami

 ボルトのいないスタジアムを想像してほしい。

 ぽっかりと穴が開いたような淋しさに襲われるのだろうか。案外、普通に受け入れて、次に出てきた選手を追うのだろうか。

 すべてが規格外な選手だった。

 走りもパフォーマンスも生き方そのものも。

 2009年ベルリン世界陸上の200mで不滅と言われた世界記録を破ったボルトのことを、仲がいい米国選手がこう呼んだ。「インセイン・ボルト」と。

 インセインとは気が狂ったとか、ちょっと頭がおかしいとかそんな意味がある。この場合は、想像を超えたとか規格外という意味だったのだろう。

 2008年に頂点に立ったボルトは、この10年間、疾走し続けた。鮮烈デビューを果たした2008年北京五輪では100m、200m世界新記録で2冠を達成、翌2009年ベルリン世界陸上では100m、200mで不滅の世界記録を樹立、リレーも含めて3冠を達成。ロンドン五輪、リオ五輪でも連覇を果たし、遂に自らの描く「伝説」を手にした。

マイナーでマジメだった陸上の概念を変えた。

 記録だけではない。記憶にも残る選手だった。

 それまでは世間ではマイナースポーツの1つと捉えられていた陸上の注目度を高めたのもボルトだった。ボルト見たさにスタジアムを訪れたり、テレビを見たファンは多かったと思う。

 レースの後にはサンダーボルトのポーズを決め、陽気なパフォーマンスでファンをいつも楽しませた。レース前のカメラへのポーズ、そしてレース後にはレゲエミュージックに合わせて華麗なステップ。これまでの「ちょっとマジメな」陸上競技の概念を大きく変えたのはまちがいなくボルトだ。

 北京五輪後にIOC会長から「派手なパフォーマンスは他の選手への敬意がない」と批判されたこともあったが、ボルトは「自分は自分。楽しい方がお客さんもきっと楽しいし、それにオレは陸上のことを考えてやっているんだ」と自らの道を貫いた。

 認知度の低い陸上競技の発展や注目度を意識しての行動だった。

【次ページ】 メディアに追い回されても対応は真摯だった。

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