酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
甲子園での勝利数を番付にすると。
PLの休部で西の勢力図に一大変化が。
posted2017/08/06 09:00
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
夏の甲子園、49代表がそろった。連日猛暑日が続く。高校球児、審判、観客、報道各位には十分に水分をとっていただき、ご自愛されたし。
今年は1915年に夏の甲子園が始まって102年目、甲子園で大会をするようになってちょうど100年、途中米騒動や戦争で開催されない年もあったので「99回大会」。
およそ1世紀の歴史の中には古豪、強豪、名門、新興、多くの学校が出場し、あまたのスター選手を輩出した。
私はここ数年、春夏の甲子園の勝利数をもとに「高校野球番付」を作っている。
近畿地方以西を「西方」、中部地方以東を「東方」として、勝利数の順番(同数の場合は優勝回数)で、番付にしていた。
1年ごとに更新して現在に至っているが、今年はちょっと大きな出来事があった。大阪府のPL学園が、高野連に脱退届を出したのだ。
これまでも、甲子園出場校で出場資格を失ったケースはいくつかあった。
戦前の強豪校で、戦後、日本領でなくなったために出場資格を失った嘉義農林、同じく戦前の甲子園出場校で学制が変わって高校(戦前の中等学校)ではなくなった福島師範、千葉師範などの師範学校、統合や廃校でなくなった京阪商、駒大岩見沢などなど。
たった1人の番付編成会議が紛糾!?
しかし甲子園の優勝校で、野球部が消滅したために出場できなくなったのはまさに前代未聞。
PL学園は通算96勝で歴代3位、西大関に位置していた。番付編成会議(私1人だが)は、紛糾した。
「歴史的な勝利数のランキングなのだから、そのまま残すべきだ」
「この番付に載せるのは、勝ち星を今後も上げる可能性がある学校に限るべきだ」
「何を!」
「やるか!」
騒然となったが、最後は「酒」で丸く収めた。
隣で見ていた家人は、「何かぶつぶつ言ってたと思ったら、昼間から1人で酒飲み始めた」ように見えたらしいが。