マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER

高校野球部はガチすぎて入りづらい。
甲子園を目指さない選択肢が必要だ。 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byHideki Sugiyama

posted2017/04/07 07:30

高校野球部はガチすぎて入りづらい。甲子園を目指さない選択肢が必要だ。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

人生のある時期、懸命に1つのことをする価値は確かにある。しかし、それが強迫観念になっては失うものも多い。

野球一色の生活を怖れて野球部を避ける人も多いのでは?

 ほんとは野球一色の高校生活など望んでいない選手たちを、ほんとは甲子園など逆立ちしても無理なのはわかっている指導者が、甲子園に向かう流れしかない今の高校野球だから、無理をしてそちらのほうに顔を向かせようとする。

 ついていけない選手たちは好きな野球を離れ、指導者にも選手たちにも、妙なストレスとフラストレーションが溜まっていく。

 そこに、「エンジョイ高校野球」が登場したらどうなるだろう。

 ほんとは野球がしたかったのに、野球一色の高校生活になるのを怖れたり、そういう生活に疑問を持ったりして、他のスポーツのほうに流れていた生徒たちが、もう一度野球に戻ってくるかもしれない。少なくとも、“戻れる場所”は提供できるはずだ。

野球も好きだけど他のこともしたいのは自然だ。

 1日24時間、野球のことを考え、野球のために暮らし、1年365日練習している高校野球だけが一生懸命なわけじゃない。

 誰かに与えてもらった3年間の高校生の時間を、野球以外のことにも使ってより意義あるものにしたい。そう考えている高校生はいくらでもいよう。野球も大好きだけど、一方で映画にも同じぐらい興味があって、勉強だって嫌いじゃない。週の半分は野球の練習に励んで、もう半分は映画と勉強。そんな“高校野球”があったってよい。むしろ、こっちのほうが健全に思えなくもない。

 週に半分の練習だと思えば、「野球やりたい!」の気持ちの昂ぶりはひと際のはずで、毎日練習しているヤツらに遅れをとってると思う気持ちが、より旺盛な集中力と緊張感すら生むのではないか。

「エンジョイ高校野球」は何がなんでも甲子園じゃないから、保護者会なんてものも出来ない。家族の人たちは、おそろいのTシャツで声を合わせて歌って踊って……などすることもなく、都合のつく時に応援にやって来て、いたい場所を探して、息子の奮闘を静かに見つめていたい向きは静かに、やはり声を枯らして声援を! と意気込む向きはダグアウトのすぐ後ろから。それぞれの都合で応援すればよい。

 当番や人間関係に頭を痛めることはなくなり、指導者にとって、とても頭の痛い問題が1つなくなって、そのぶん選手たちとの時間にエネルギーをつぎ込めるというわけだ。

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松井百代

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