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西武黄金時代OBの著書が面白い。
辻&伊東が語る清原、広岡、玄米。 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byKyodo News

posted2017/04/04 07:30

西武黄金時代OBの著書が面白い。辻&伊東が語る清原、広岡、玄米。<Number Web> photograph by Kyodo News

1994年のオールスター戦での風景(右から、森監督、石毛、清原、辻、伊東)。この年、ついに森監督が西武を勇退。督在任中の9年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を記録した。

手堅い森采配のせいで通算2000本安打が幻に!?

 伊東は小さい頃から巨人ファンで、長嶋・王より高田繁(現DeNAゼネラルマネージャー)の大ファン。だが、当時の巨人はドラ1の山倉和博という六大学のスター選手の育成真っ只中。出場機会がないと読んだクレバーな男は、プロ野球選手の就職先として西武ライオンズを選択したわけだ。

 少年野球時代は足の速さを買われ「1番捕手」で出場していた伊東は、プロ入り後もその俊足は健在で二桁盗塁を計5度もクリアしており、通算134盗塁は捕手歴代最多記録。

 そして、通算305犠打は川相昌弘、平野謙、宮本慎也に次いで歴代4位。1番や2番の上位打者ではなく、下位打線を打つ捕手としては驚異的な数字である。

 伊東自身も「これだけ犠打をしてなかったら通算2000安打を打てたのではないか」なんつって手堅い森野球に自ら突っ込む殿堂入りプレーヤーの懐の深さ。

管理野球への不満はあっても結果には納得。

 もちろん'82年入団の伊東と'84年入団の辻は同時期に同じ西武を体験しているわけだが、興味深いのは「玄米はマジで不味かった」で意見が一致していることだ。

 やはり食べ物の恨みは怖い。

「味気なく、不評でしたね。私たちは一体、どこまで管理されるのかと絶望的な気分になることさえありました」と激ヤセした当時を回想しつつ、やがて他球団と比較して自チームの故障者が極端に少なくなっていることに気が付く。

 こういうことか、やるじゃねえか広岡さん。

 今でも最も影響を受けた監督は誰ですか? という問いには迷わず、「広岡達朗監督です」。

 そう断言する管理野球の申し子。

【次ページ】 先輩の石毛宏典に理想のリーダー像を見出す。

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