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箱根が途切れ、1年生主将が矢面に。
中央大学の報告会は酷な時間だった。
posted2016/10/19 08:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
Nanae Suzuki
不幸は蜜の味がする――。
箱根駅伝の予選会、レースが終わって発表を待つ間、中央大学の集合場所にはマスコミがわんさか押しかけていた。私も含めて。
予選を通過できたかどうかは微妙なところで、あたりには重苦しいムードが漂っていた。そして、結果発表。
10位は日大。この瞬間、中大の箱根駅伝連続出場記録は途切れた。関係者にとっては、つらい瞬間だった。
いまは予選会が終わると、監督や選手たちが関係者に挨拶をするのが習わしになっている。本戦に進めなかった大学の報告会は重たい。中大は1年生主将、舟津彰馬(福岡大附属大濠高)が挨拶に立った。
舟津は7月から4年生に替わって、箱根駅伝までという条件付きで主将になった。初夏、学年ごとにまとめた改革案が藤原正和新監督に認められたからだ。
その舟津が、関係者を前に最初は淡々と話し始めた。
「11位という本当にあと一歩の順位で、本当に申し訳ありませんでした」
ここで、間が出来た。たぶん、感情がたかぶってきたのだと思う。舟津は続けた。
「外部から心ない声や、本当に今年は大丈夫なのかと、多くの声をいただきました。でも、自分たちはやれると思いながら、やってきました。それに対して、誰も文句は言えません。もし、先輩方に文句を言うような人がいたら、自分が受けて立ちます。自分にすべてぶつけてください。先輩に心ない声や、そんなことを言うような人がいたら、自分は許しません」
誰か、助けてやってくれと思いながらメモを取った。
舟津の声をそばで聞きながら、心を揺さぶられた。主将になって3カ月、どれだけ重たいものを抱えながら走ってきたのだろう、と感じたからだ。
しかも、舟津は9月25日に19歳になったばかりである。
正直、19歳で口に出来る言葉ではない。主将という責務が、彼を人間として成長させたのは間違いないと感じた。
しかしその一方で、「酷だな」とも思った。1年生は本来であれば矢面に立つ必要はない。誰か、助けてやってくれ。そうも感じながら、メモを取り続けた。
舟津の後ろでこの挨拶を聞いていた藤原監督は、どんな気持ちだったのだろうか。