野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
交錯した野球人生がまた1つに……。
新井貴浩と赤松真人、広島での邂逅。
posted2016/09/23 11:30
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
Hideki Sugiyama
真っ赤な輪が一瞬、ほどけた。その中心で黒田博樹と新井貴浩が涙を流しながら抱き合っている。テレビで、繰り返し放送された広島の優勝シーンだ。
阪神の球団関係者は、なすすべなく敗北を重ねる自軍の窮状に忸怩たる思いを抱きながら、こう述懐する。
「広島で、よかった。他の球団だったら、うちも出していなかっただろう」
2年前の秋だった。
ソフトバンクとの日本シリーズに1勝4敗で敗れた翌日、ネクタイを締め、スーツ姿の新井は球団側と話し合った。広島からFA宣言して、阪神に移籍して7シーズンが過ぎた37歳は、覚悟を胸に秘めていた。
「阪神を出してください」
そして、こんな言葉もあったという。
「ゴメスはすごくいいヤツなんです。打ったら拍手して喜んでしまう自分がいます。このままなら埋没してしまう。自分がダメになってしまうと思います」
悔しさ、もどかしさをオブラートに包んだ物言いだろう。日々の戦いに心身を焦がしながらも実直な人柄がにじみ出る。だが、言葉の柔らかさとは裏腹に置かれている立場に強い危機感を抱いていた。高年齢、そして出場機会激減……。引退に追い込まれるベテランがたどる道だった。
'14年は94試合出場にとどまり、43安打はプロ2年目の'00年より少ない。瀬戸際に追い詰められ、そのまま立ち尽くすのか、それとも、次の1歩を踏み出すのか。新井は立ち止まらない人だった。
チーム改革のあおりを受け、出場機会は激減。
確かに、不遇な1年だった。
長打力不足を解消すべく、チームは新外国人のマウロ・ゴメスを補強した。だが、同じ一塁のポジションを競うライバルは来日が遅れ、2月のキャンプインに間に合わない。調整不足は否めず、オープン戦で充実の打撃を見せつける新井とは対照的だった。それでも、開幕スタメンはゴメスの手中へ。
交流戦で先発を重ねた以外、おもに代打として過ごし、悔しいシーズンだった。たえず前に進もうとするチーム事情のあおりをモロに食った。
当時、指揮を執っていた和田豊監督(現阪神オーナー付シニアアドバイザー)も新井の覚悟に触れ、退団の報告も受けた。