炎の一筆入魂BACK NUMBER
黒田博樹が自ら詰めた仲間との距離。
大瀬良に助言、新井いじりは恒例に。
posted2016/03/14 10:30
text by
前原淳Jun Maehara
photograph by
NIKKAN SPORTS
黒田博樹を探していた――。
2月、例年よりも寒さを感じた広島の沖縄2次キャンプ。選手たちもウオーミングアップ時には赤いパーカーをまとっていた。キャンプ取材の1日は参加選手の確認作業から始まるのだが、パーカー姿では選手の確認に時間を要す。
選手を確認し、練習メニュー表にある参加選手の背番号に斜線を入れる。昨春は真っ先に斜線を引いた「15」が、今年はしばらく残った。
8年ぶりの日本復帰で沸いた昨年は、ひと目で黒田の居場所は分かった。ファンと報道陣が常に黒田の後を追い、人だかりができた。そして、他の選手との間に感じる距離感が、黒田の存在を際立たせていた。
互いに遠ざけていたわけではない。ともにプレーした選手は少なく、中には広島時代の黒田が記憶にない選手もいた。黒田が去ってからの7年のという時間と黒田が米大リーグで残した実績が、気付かぬ距離を生んでいた。
たとえばランニング中、昨春は最後列で新井貴浩か外国人選手らと並んで走っていた。投内連係や投手のノックでもほかの選手との会話はあまりなかった。黒田の姿を見つけることは難しくなかった。
身振り手振りで一生懸命、大瀬良にアドバイスを。
しかし今年は違う。
ランニングから列の中盤に入り、全体メニューでも野村や大瀬良が声をかけながら笑顔も見られた。黒田からも後輩に声をかける――。
宮崎キャンプから沖縄に移った18日のこと。まだ沖縄に発つ前に、調子の上がらない大瀬良に練習メニューの合間の10分間、身ぶり手ぶりでアドバイスを送っていた。
内容はプレートの使い方。
大瀬良は左足を上げた後、体重移動の際に軸足の右ひざが曲がる癖があった。軸足を曲げることで体の開きが早くなり、力を入れようとすると上半身が前に倒れ込んでしまっていた。
「状態が良くないという報道が出ていたし、周りからも聞いていた。アドバイスしてみようかなと。僕自身のチェックポイントを伝えた」