野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
石井琢朗、広島に愛されて引退へ。
横浜ファンが抱く羨望、後悔、感謝。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/09/04 10:30
1989年のドラフト外で、ピッチャーとして横浜大洋ホエールズ(当時)に入団。投手として勝ち星をあげた選手としては川上哲治以来2人目となる2000本安打を達成した。
横浜の球団事務所に寄せられたファンたちの声。
「琢朗をCSに連れて行こう!」
そんな思いでひとつに燃えている今のカープの選手とファンの姿は、横浜側の人間から見れば、本当に羨ましくて、悔しくて、そして何故か感謝の気持ちすら湧いてくる。
それはきっと琢朗だけのことじゃない。'00年代の長い低迷で、日本一を成し遂げた功労も顧みず、追い立てるように葬ってしまった幾多の選手たち。彼らに幸せな最後を迎えさせてあげられなかったという無念、長い間ずっとくすぶってきたやりきれなさが、そんな思いを抱かせるのだろう。
石井琢朗が引退を発表したその日から、9月23日の横浜スタジアムにおけるカープ最終戦のチケットが例年の約5倍の勢いで売れているという。CS争いの佳境に入った三塁側・レフト側が売れるのはわかるが、最下位の横浜側のチケットがかなりの勢いで売れているのは異例だ。さらに横浜の球団事務所には「引退セレモニーはやらないのですか?」という問い合わせが多数寄せられ、公式Facebookの琢朗引退の記事には、番長の150勝時を上回る数のコメントが書き込まれた。
それを受けた球団側も「自分のことよりもチームを優先する琢朗さんだけに難しいのですが、邪魔にならない程度にベイスターズとしてできる何かしらの誠意を見せられたら」と、あの時できなかった送別の催しをささやかながら検討しているとか。
そんなことが横浜で起こる裏には、花道を作れず送り出してしまった人間として共通の願いがあるはず。
最後の最後。琢朗をCSに。
カープファンの人たちに思いを託します。