野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
石井琢朗、広島に愛されて引退へ。
横浜ファンが抱く羨望、後悔、感謝。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/09/04 10:30
1989年のドラフト外で、ピッチャーとして横浜大洋ホエールズ(当時)に入団。投手として勝ち星をあげた選手としては川上哲治以来2人目となる2000本安打を達成した。
「今年はクライマックスに行かないといけないんですけど、皆さん知っての通り、琢朗さんが引退を表明しました。皆さん、琢朗さんのために絶対、クライマックス行きましょう!」
ヒーローに選ばれた前田健太がお立ち台でそう叫ぶと、神宮球場はこの日一番の大歓声に包まれた。
この試合の前日にあたる8月27日。広島東洋カープの石井琢朗が今季限りでの引退を表明していた。プロ生活24年。大洋・横浜では中心選手として20年。広島ではスーパーサブとして、若手選手の生きた手本として4年。この日までに歴代11位の通算2430安打をはじめとする多くの勲章と、たくさんのファンの心を掴んできた。
この試合前ミーティングで、カープの選手たちの前で引退の報告をした石井琢朗はこんなことを言ったという。
「僕をCSに連れて行ってください」
いつも強そうにしている人間が、極限状態で相手に自分の進路をゆだねるべく頭を下げる。こういうシチュエーションに、人間は燃える。
生まれ育った村が全滅の危機に瀕した時、「助けて」とルフィに頭を下げたワンピースのナミしかり。「私のことは嫌いになってもAKBのことは嫌いにならないでください」と絶叫した前田敦子しかり。こう言われて燃えない人間は、いない。「ちょっとアイドルとかわかんないし……」なんていう人は、前田智徳が「ワシのことを嫌いになってもカープは嫌わんといてくんさい」と言ったと想像すれば、ためらいなく家族も仕事も投げ捨てられる気持ちが理解できるのではないか。
そして琢朗の最後の願い。それは例外なくカープの選手たちを燃やし、15年ぶりのAクラス争いで熱く燃えたぎるカープファンをさらに燃え上がらせた。
レフトスタンドに響く「タクロー!!」「CSいこうぜ!」の絶叫。
ヒーローインタビュー後のスタンドからはマエケンコールに混じって「タクロー!!」「CSいこうぜ!」という絶叫が聞こえてくる。物凄い熱。マエケンをはじめとする選手、そして真っ赤に染まったレフトスタンドがひとつになって燃えていた。CS進出、そしてそれを石井琢朗の花道にするという思いの下に。
知らなかった。広島東洋カープに移籍して4年。石井琢朗がこんなにもカープの選手やファンに愛されているという事実を。スタンドから琢朗に送られる声援。カープの選手のブログに寄せられたファンからのコメント。そして引退会見後、ひっきりなしに遭遇する「琢朗を出してくれてありがとう」というカープファンの友人からの見当違いな御礼。そんなものを目の当たりにするたび、琢朗の広島での存在感の大きさと、改めて広島の人になったという事実を思い知らされる。それは嬉しくもあり、少し寂しくもある。なんとも複雑な思いだ。