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阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

posted2007/08/23 00:00

 この男の頭上に、“神”はしばしば舞い降りてくる。

 「最高でーすッ!」

 お立ち台からの雄叫びは、阿部慎之助が神と巡りあったときの合言葉だった。“サヨナラの慎ちゃん”と呼ばれだしたのは2002年8月からだった。わずか1カ月の間に2本のサヨナラホーマーを含む3度のサヨナラ劇の主役を演じた。その後も土壇場の場面では無類の勝負強さを見せつけてきている。

 「何でなんですかねえ……」

 阿部は小首をかしげながらつぶやいた。

 どうそんな勝負強さを身に着けたのか?― 愚問といえば愚問かもしれないが、あえてそんなベタな質問をしてみた。打席で阿部は何を見て、何を感じ、何を考えているのか。どういう心理状態のときに、あの研ぎ澄まされた集中力が生まれ、サヨナラ打を放つのだろうか。そこが解明されれば、ある意味、神と阿部との友好関係の秘密は解き明かせるかもしれない。その問いかけに阿部はポツリ、ポツリとそのときの心の風景を語りだした。

 「何も見ていないし、何も考えていません。そうですね……ほんと“無”の状態って言うんですかねえ。もちろん打席では次に相手バッテリーが何を投げてくるのかとか、こういう風に打とうとか、そういうことは絶えず考えているんです。でも、振り返ってみると、サヨナラホーマーを打ったり、大事な場面で結果を残しているときって、実は何も考えていないんですよ。ただ、打席に立っていると、自然と次に真っ直ぐがきそうだなっとか、カーブがきそうだなっとかっていうヒラメキというか、フッと浮かぶものがあるんです。そうするとその通りに真っ直ぐがくるし、カーブがくる。当たるんですよね、そういうときって……」

 これが阿部のイメージだという。おそらく野球選手としての様々な蓄積が、極限まで絞り上げられた緊張感によってある種のヒラメキを生むのだろう。漠然と球種が浮かぶのではなく、それは様々な経験により得てきた記憶の集積から、自然にデータが引き出された結果の、ある種、合理的な結末だった。だが、ギリギリまで追い詰められた状況になれば、そういう論理性は本人の中ではかえって曖昧になり、心の中は“無”になるのかもしれない。

 フッと心に浮かぶヒラメキ。神の啓示に似たそんなアイデアが頭をよぎり、それが非常に高い確率で当たる。結果として勝負強い阿部慎之助という打者が生まれたわけだ。

 だが、最初からその“無”の境地にいきついていたわけではなかった。東都大学リーグのスラッガーとしてドラフト1位で巨人に入団。だが、1年目はプロの厚い壁に限界を感じる日々が続いた。

 「キャッチャーとしても、打者としても、本当にまだまだだったのに、長嶋監督が目をつむって使い続けてくれた。そのお陰で何とか自信めいたものを感じて2年目のシーズンを迎えられたと思います」

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阿部慎之助
読売ジャイアンツ

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