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阿部慎之助 “無”への一歩は胴上げから。 

text by

鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

PROFILE

posted2007/08/23 00:00

 転機はプロ2年目のシーズンに訪れた。レギュラー捕手として優勝争いの真っ只中でマスクをかぶり続けたことだった。

 「自分にとってひとつの大きな転機となったのは、2年目に優勝したことだったと思います。本当にあの年に様々な経験をつませてもらった。やっぱり優勝争いの緊張感の中でプレーできたことが一番、大きかったと思います。それにバッターとしても3割という大きな目標を胸に刻みながらずっとプレーできたということも大事だった」

 その年の巨人は、9月24日の阪神戦で2年ぶりのリーグ優勝を決めた。甲子園球場の阪神戦。試合は敗れたが2位ヤクルトが敗れて阿部は原監督胴上げの輪の中心にいた。

 「自分にとってはもちろんプロで初めての優勝でしたし、しかもレギュラーとして試合に出て色々な場面を経験してつかんだものでしたから。やっぱりプロで勝つことの厳しさというのを知ったこと、そして実際に最後に勝ったことが、プレーヤーとしてひとつのターニングポイントになったと思います」

 そして迎えた最終戦。今度はその打席を経験したことが、打者としての大きなステップアップをもたらすこととなった。

 バッターとしての阿部は、2年目のこのシーズンにようやくプロの打者としてのきっかけをつかんだといっていいだろう。8月には前述したように3度のサヨナラ劇の主役を演じ“サヨナラの慎ちゃん”というニックネームがスポーツ新聞の1面を飾った。そればかりか開幕からバットは振れて、シーズンを通して打撃も好調な結果を出していった。

 そして最終戦。この試合で3安打以上を打てば3割を達成できるという試合だった。数字のプレッシャーの中で阿部はついに神を見ることはできなかった。2割9分8厘。これがこのシーズンの最後に残した成績だった。あと1本の差で「3割打者」という勲章はその手からするりと逃げてしまった。

 「そのときは色々なことを考えて、ダメでしたねえ。やっぱり痛感したのは1本の重みということでした」

 だが、同時にその苦い経験が阿部の心の中にあった固い殻を破るキッカケになった。

 「チームの優勝という目標の中で、自分も3割という数字を追いかけていった。最終的には3割は打てなかった……2割9分8厘で終わったけど、その経験の中でちょっとヒントのような感覚はあったんです」

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阿部慎之助
読売ジャイアンツ

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