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【さいたまブロンコス】「面談に30Pの資料を持参」デイビッド・マクルーアHCが目指す“勝ち続けるカルチャー”とは?《注目の“名門大出身”指揮官》

“勝ち続けるカルチャー”を根付かせるため、ブロンコスは若き指揮官に全権を委ねた。名門デューク大出身ながらヘッドコーチを務めるのは初となるマクルーアがチームを常勝軍団に導くための方法論と、新任HCとしての野望を率直に語った――。(原題:[別冊付録][スペシャルインタビュー]デイビッド・マクルーア「いつか日本を代表するクラブに」新ヘッドコーチが創造する“勝ち続けるカルチャー”)

 アメリカと日本で合わせて10年以上、指導者として研鑽を積んできた。そして待ち続けた機会が巡ってきた――。

 さいたまブロンコスが、今季のチームの指揮を託したのはデイビッド・マクルーアだった。NBAや千葉ジェッツで選手の指導に携わってきたが、ヘッドコーチ職に就くのは初めてとなる。

「自分の人生の大半はバスケットボールとともにあります。そして多くの偉大なコーチたちのもと、とても高いレベルのチームで学び、彼らから教えを受けてきました」

 2m近い身長を持つ不惑の身体は今もよく引き締まり、顔には人々を魅了する笑顔が浮かぶ。

膝の故障で計6度もの手術。

 マクルーアはアメリカの多くの若いバスケットボール選手の多分に漏れず、NBAという頂を目指す少年期を送った。その後、トップクラスの選手に成長すると、アメリカ大学バスケットボール界の超名門、デューク大へ進む。アメリカ代表チームのHCとして五輪で3度の金メダル獲得を成し遂げている名将「コーチK」こと、マイク・シャシェフスキーの指導を受けるためだ。バスケットボールのエリートコースにのって、マクルーアのNBA入りはより現実的な目標となった。

 ところが、直面した現実はあまりに残酷だった。マクルーアは膝の故障で計6度もの手術を受ける、多難な競技生活を送った。いつも到達可能なところ以上のところへ挑戦することで自らを高めてきたというマクルーアだったが、これだけケガを重ねるなかで心境は変化していった。

「残念ながら、最初の手術を受けたのは大学でのキャリアの早い段階においてでした。もちろん、全力でプレーし続けましたが、すでにその頃の私は、NBAに行くという夢は夢のまま終わってしまうだろうと理解していました」

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photograph by Takuya Sugiyama

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