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「遠回りしたからこそ教えられる」‟ビッグマウス”と呼ばれた川口知哉が母校・龍谷大平安で実践する指導哲学とは?「次は完全試合です」《甲子園スターが監督として帰還》
外野の向こうに青々とした醍醐山と白い雲。蝉の声かまびすしい練習場で、かつて「ビッグマウス」と呼ばれた男は余計なことを言わず、じっと選手の動きに目を凝らしていた。
「まずは見て覚える。その子の動きをきちんと頭にインプットして説明できるようにします。時間はかかりますが、そこから信頼関係を築かないといけない」
そう話す川口知哉は、28年前、夏の甲子園を沸かせた平安(現・龍谷大平安)のエースだった。完封、11奪三振を達成した2回戦の高知商戦、お立ち台で「次は完全試合です」と宣言し、ついた異名がビッグマウス。決勝までの6試合、820球をひとりで投げ抜き、最後は現監督の中谷仁が主将を務めていた智辯和歌山に敗れたものの、1997年大会の主役になった。
甲子園のスーパースターが母校にコーチとして戻ったのは3年前。前任者が部員への暴行問題で辞任したのを受け、この春からは監督となった。監督として初めての夏の京都大会は4回戦敗退。7月末に始動したばかりの新チームの練習を見つめ、川口は言葉に力をこめた。
「選手のことを何も知らずにあれこれ言うのは、自分の経験を押しつけているだけ。その子に合うかどうかの判断もしていないということになるでしょう?」
「いいからやれ」フォーム改造で失われた本来の投げ方
ドラフト4球団競合でオリックスに入団したプロ初年度、'98年2月のキャンプ合流初日に突如フォーム改造を命じられた。理由を尋ねても十分な説明のないまま、言われたのは「いいからやれ」。突然の矯正で投球動作、リズムのすべてが狂い、3月下旬の二軍戦で肩を痛めると、そのうち投げ方そのものを見失った。
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