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「“ダービー馬の父”の称号も時間の問題」キタサンブラックが跳ね返された『壁』の正体とは?「あの日は気持ちが乗りすぎて…」【2015年】
今をときめく種牡馬界の雄キタサンブラックは初年度産駒のイクイノックスを皮切りに、2年前のソールオリエンス、スキルヴィング、そして今年のクロワデュノールと、ダービー戦線の“ど真ん中”に座る大物を次々に送り出している。勝利を掴み取った馬こそまだいないものの、確立した名声に「ダービー馬の父」の称号が加わるのはもはや時間の問題。産駒たちにはセールなどでも、熱い視線が注がれている。
しかし現役時代、自身のダービー(2015年)においては、華やかな脚光を浴びる存在ではなかった。同年の中心勢力と目された3頭のライバル――ドゥラメンテ、リアルスティール、サトノクラウン――に対し、キタサンブラックは6番人気で単勝オッズも20.7倍。立ち位置は「惑星候補の1頭」に過ぎず、結果的にも14着と苦い大敗を喫した。
いわゆる“力負け”でなかったことは、その後の活躍が証明している。通算20戦のうち、3着以内を外したのはダービーと5歳時の宝塚記念(9着)だけ。極めて例外的な黒星なのだ。抜群の安定感を誇った名馬はあのとき、どんな“壁”に跳ね返されたのか。その正体を改めて探ってみたい。
栗東の厩舎に入厩したのは12月。なぜ遅れた?
'12年3月10日、ヤナガワ牧場で誕生したキタサンブラックは翌年11月、育成先の日高軽種馬共同育成公社へ移った。怪我や病気、脚元の不安とも無縁の健康優良児ながら、全体のサイズが大きい割に馬体は薄く、後駆には“緩さ”が多分に残る。つまり成長途上だった肉体面を考慮し、育成調教は時間をかけてゆっくりと進められた。
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