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「渡米前は、孤独だったと思いますよ」なぜイチローと松井秀喜は“日本最終年”に無双できたのか…打率.387と50本塁打の理由を探る《証言:大島公一、藤井秀悟ら》

2025/01/15
イチローの2000年と松井秀喜の2002年を徹底分析
まだ打者のMLB挑戦が遠かった時代。球界を代表する両リーグ2人の打者は、やり残したことはないと言わんばかりに、一方はキャリアハイの打率、もう一方は二冠王とNPB最後の年に圧倒的な成績を残した。そんな両雄を同僚と対戦相手が振り返る。(原題:2000&2002[“51”と“55”の輝き]なぜ2人は日本最終年に無双できたのか)

「日本野球でやり残したことはない。そう言えるほど別格でした。同じグラウンドに居ても見ている世界が違う。一打席一打席のすべてに結果を出す、要は10割を目指していたのでしょうね。そうでなければ4割近くの数字は残せないと思うんですよ」

 兵庫県神戸市。かつての本拠地・グリーンスタジアム神戸近くのクラブチーム「アスミビルダーズ」の事務所で、ミスター・ブルーウェーブ藤井康雄が振り返った。

 イチローとはブレイク前から何かと気が置けない仲で、11歳上のチームの大黒柱にもかかわらず、新宿へバッシュを買いに行くのに付き合わされたりもした。現在の話しぶりからも人柄の良さが滲み出る。

藤井康雄 Yasuo Fujii 1962年7月7日生、広島県出身。'87年阪急ブレーブス入団、後に“ミスター・ブルーウェーブ”と呼ばれる。オリックスなどでコーチを務め、現在クラブチーム・アスミビルダーズのコーチ Hideki Sugiyama / Kazuaki Nishiyama
藤井康雄 Yasuo Fujii 1962年7月7日生、広島県出身。'87年阪急ブレーブス入団、後に“ミスター・ブルーウェーブ”と呼ばれる。オリックスなどでコーチを務め、現在クラブチーム・アスミビルダーズのコーチ Hideki Sugiyama / Kazuaki Nishiyama

「まぁ、それができてしまうのがイチローですよ(笑)。高卒1年目から『センター前ならいつでも打てる』と豪語した、なんて逸話もありますが、'94年に210本を打ちイチローフィーバーが起きてからは、もう外にも連れて歩けなくなっていましたし、チームでの移動も別になった。スタイルが違うからバッティングの話もできないしね。孤独だったと思いますよ。成績的にも3割4分、5分なんて数字が当たり前で、お客さんも次第に慣れてしまうんですから。その重圧の中でメジャーに行くと決めていた日本最後の年、3割8分7厘という自己最高の結果を残しましたからね」

仰木彬監督が4番起用を明言した理由は?

 2000年のイチローは、開幕前にオリックス仰木彬監督が4番に起用することを明言。代名詞でもある猫の目打線を止め、1番田口壮、2番大島公一、3番谷佳知と上位打線を固定することを宣言した。これに対しイチローはこれまで「タイプじゃない」と抵抗感を(あらわ)にしてきた4番という打順をすんなりと受け入れている。

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photograph by SANKEI SHIMBUN

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